多発性骨髄腫と家族

多発性骨髄腫の治療記録。 最近、治療の当本人である主人もブログを始めました。 こちら➡︎ https://ken-ken-ken.muragon.com

多発性骨髄腫について
治療、症状、患者家族として
残せるものを置いていきます。


2012年8月=主人37歳
多発性骨髄腫と診断
治療開始
2013年
治療→自家移植→
同種移植→寛解
2014年
寛解維持
2015年12月
再発
2016年1月
治療再開
2019年9月
永眠しました

介護福祉士
娘二人の母親してます。

百箇日法要を終えて


12月18日16時から百箇日法要を執り行いました


お寺さんの事情で夕方からとなったことにより、
複雑な諸事情もうまれましたが、、
全ては主人への想いが溢れたからこそ。
これからさらに時間をかけて、みなさんの溝を埋めるべく奔走します。



百箇日法要は【卒哭忌】とも云い、この日をもって
嘆き悲しむことはやめて生活に戻りなさいということだそうです。


ん、まぁ、無理があるよね。。


とは言え、実家の神奈川に行って親族と親戚周りをして
父のお墓参りもして、妹と姪っ子にたくさん癒されてきました。
戻ってきてすぐ引っ越しもして、娘の上司との食事会も無事終えて、
仕事もしてます。


朝から晩まで泣き崩れて何もできないなんてことは、ないです。



主人の看病に使っていた時間は、他の方へ使える時間として、
職場のメンタルケアの話を頼まれていたので、そこに向けています。


人の話を聴くというのは、時間も気力も体力も必要なので
気が付いたら一日が終わる感じです。
そして、大概は布団に入って時計をみると3時。
6時過ぎには起床するので寝付けないでいると次の日がきてます。



なんか、脱線しました。。。



初盆までは法要事も暫しありません。



年末までは私一人で古巣にいるので、
来年明けて荷解きをしたら治療関連記事をあげていきます。



だいぶ時間が経過しているのと、
途中から【過去】【現在】の仕分けも難しくなりますが、
可能な限り残していけたらと思っています。






主治医が最後のご挨拶に行った際に話してくれました。

ご主人は最後まで一度も諦めず、可能性のあるすべての治療をしました。
それによって苦痛も多かったかもしれませんが、本人が望んでいた一日でも一時間でも長く奥さんと一緒に居たいと話していた時間を過ごせたことは間違いありません。
本当によく頑張ったよね、本人も奥さんも。
一人だったら耐えられんですわって、よく言ってたよ。
でも奥さんが自分の身も命も削ってまで見てくれて傍にいてくれてるから、
生きなきゃいけないんです、って。
治療については正解とか不正解とかなくて、薬一つでも個々の相性があるから私達医師も絶対の約束はできないけど、それでも望むことは同じで目指すゴールも一緒に見てきたから、うん。
ありがとうございました。多くの協力で、私達もここまでこられました。





そして、化学療法室の看護師さんも。

本当にキツイ治療ばかりだったのに、泣き言一ついわずに頑張りぬいて…。こんな強さがどこから出てくるんだろうって、いつも思ってたよ。
私達の配慮が足りなくて、嫌な思いさせたこともあったのに、ずっとずっと治療して。
最後は笑顔でありがとうございましたって帰っていって。いい笑顔だったよね。
必ず奥さん一緒に来てたし、一緒に居たらずーっと笑顔だったもんね。先生達もご主人の件、〇〇先生から連絡受けたとき
もっと何か出来ることなかったかな、こっち(病院)に戻ってきたかったんじゃないかなって話しててね。
先生たちも患者さんが亡くなると悔しくて落ち込んだりするんだよ、〇〇さん(主人)は特に長くてずっとだったから、ね。
一緒に頑張ってきてくれてありがとうございました。



主人のしてきた治療は、選択肢の一つ一つです。
どれを選択したからどうとかではないです、きっと。
それでもどんな治療をしてきたのか、どういう流れだったのか、そんなことをゆっくり残していきたいと思います。



それでは、
暖かいクリスマスをお過ごしください。