多発性骨髄腫と家族

多発性骨髄腫の治療記録。 最近、治療の当本人である主人もブログを始めました。 こちら➡︎ https://ken-ken-ken.muragon.com

多発性骨髄腫について
治療、症状、患者家族として
残せるものを置いていきます。


2012年8月=主人37歳
多発性骨髄腫と診断
治療開始
2013年
治療→自家移植→
同種移植→寛解
2014年
寛解維持
2015年12月
再発
2016年1月
治療再開
2019年9月
永眠しました

介護福祉士
娘二人の母親してます。

年始3ページ

昨日は五回目の月命日

朝から以前一緒に行きたいと言っていた叔母に電話をするも出ず、

寒いし来月誘ってみようとひとりで実家へ



高速を使って約一時間

まだまだ道路が滲んで見えて

何度か深呼吸を繰り返す


走りだした時に曇っていた空も

実家=お墓に近づくにつれ

雲が晴れていく


なかなか、やるね、うちの主人

さすがだなぁと独り言


田舎道に入ってから好き放題途中で車を停めて

一緒に見た景色をパチリ、またパチリ



寂しいけど、悔しいけど、

恋しくて愛おしいけど、

悲しまない

それが主人へ誓った想い


それだけ主人は最後の瞬間まで

頑張り抜いてくれたから



なんだか五ヶ月って

早くもあって、まだまだかって思ったり

そんな時間


アホみたいに仕事入れて

ほとんど家にいないし

ブログ見る暇もないくらい

仕事以外の時間をいろんな人と過ごして


主人が居たら怒鳴られる(笑)



そんな五回目のお墓参りは

寒かったけど清々しいお天気だったよ




今年も綺麗に咲きだしたよ

年始2ページ


このタイトルにしたらタイトルで悩まなくていいような気がする…
気が変わったら変わると思います(._.)



一昨日は自分のバセドウ受診。
主人が通い続けていた医大へ行きます。


医大へ向かう道中、たくさんの思い出がよみがえってきて
まだまだ涙無くして医大手前の坂は通れません。
駐車場入り口にいる守衛さんにも
『まだだなぁ~ まぁぼちぼちでいいやろ』と
オレンジジュースを手渡されました。


転院によって主人の医大受診から離れて一年弱。
それでも気にかけてくださる方がまだたくさんいます。
本当にあったかい病院です。


血液検査を終えて内科で待っていると、
外来の看護師さんや中央処置室の看護師さん、
ソーシャルワーカーさんが次々声をかけてくださって。


たくさん主人の話をしました。
『こうして話すことが一番いいんだって』
みなさんそう言って話が止まりません(嬉)


そうこうしてるうちに診察へ呼ばれて主治医とも主人の話。
みんな主人のこと大好きなんだな。。っと笑顔がこぼれる。


一時間近くお話をして、診察室を出ると
化学療法室の看護師さんが「やっと出てきた」と笑いながら出迎えてくれました。


私が来てることを外来の看護師さんから聞いて会いに来てくれたそう。
もう。。。。ほんとあったかい。。。


こんなに好いひと達に恵まれてたから主人も最期まであきらめずに
治療を継続できていたんだと思います。
感謝ばかりの一日でした。



一度かかったら完治もなくて、絶対進行してしまう病気。
それでも誰も全く諦めようとしなかったし、
『そんなことしても無駄なんだよ!』と言い放ったこともあった主人と
大切に大切に向き合ってくれた病院です。


移植後なんてタクロリムス(免疫抑制剤)を通常の半年も長く飲むことになって
微量な0.2mgまで0.1mg単位の調整にどれだけのやりとりが続いてたか…
一つ一つ思い返してみても、真剣に向き合ってくれていたからこそ、
再発時の対応も遅れることなく生活が出来たのだと思います。



全身の骨に細胞癌が作られる痛みって、どんなに痛いだろう。
ふとしたことでいろんな箇所で骨折するし、かと言って血液状態も悪いから
大きな手術なんかもできないし、いつしか気づけば慎重に慎重に生活することが
当たり前になってて、生きづらかっただろうなって思います。



なんか、まだ思い出そうとすると胸苦しくなるので、
少しずつですね、ゆっくり病気関連の記事書いていきます(..)



さて、今日も笑顔で元気にお仕事してきます。
真顔でお仕事してたら施設の利用者さんに認識してもらえなかったので、
笑顔、笑顔です(^^)


笑顔のキャッチボールが大切です。

年始1ページ

今年もよろしくお願いします。


*他部屋の記事をまた間違えてココでアップしてしまって、削除してます…

すいません(..)



年末は主人の実家で両親と、娘二人と過ごしました。
主人の同僚兼親友夫妻も来てくださいました。
携帯も繋がらない山奥です。
星が驚くほど出ていて、白い息を吐きながら、
夜中に何度も外へ出て空を見上げて過ごしました。



お義父さんと一升瓶を空にする勢いでお酒飲んで、
主人の幼少期の頃の話から思い出話を聞かせていただいて
たくさん主人を感じることができる年越しでした。


とっても涙もろいお義父さん
その姿を優しい瞳で見ているお義母さん


素敵なご両親です。
娘たちもおじいちゃん、おばあちゃんが好きで、
年末を実家で過ごすことを喜んで賛成してくれました。
実の孫ではないですが、本当によくしてくださって可愛がってくれます。
その想いが真っ直ぐ娘たちに伝わってるんだと思います。



私の中はまだ主人まみれですが、ゆっくりゆっくりスタートした2020年
私もゆっくり焦らずスタートします。
少しずつ、一歩ずつ進んでいきます。



まずは荷解きしないと生活が出来ないので…
そこから始めます。


治療の資料を整理出来次第、記事を作成していきます。
春ころまでには始められるかな…




皆さんの笑顔多き一年となりますように。
ココロ温かな一年となりますように。