多発性骨髄腫と家族

多発性骨髄腫の治療記録。 最近、治療の当本人である主人もブログを始めました。 こちら➡︎ https://ken-ken-ken.muragon.com

多発性骨髄腫について
治療、症状、患者家族として
残せるものを置いていきます。


2012年8月=主人37歳
多発性骨髄腫と診断
治療開始
2013年
治療→自家移植→
同種移植→寛解
2014年
寛解維持
2015年12月
再発
2016年1月
治療再開

介護福祉士
娘二人の母親してます。

初期:初回治療とモヤモヤ

ちょっと間が空きました(;一_一)


なんかこう、余裕がないですね。

主人の体調はあまりよくないし、イライラしてるし

うまくスルー出来ればいいのに

つい真正面から感情的になって向き合ってしまう。


大人になれないな・・・ほんと・・・。


次女が何より主人が大事な存在になっていて、

唯一自分の父親だと思っているので

主人が心配でならない。

多感な18歳がお父さんを大切にしてあげて、と涙を流す。


私は、今一度、自分を見つめ直さないといけない。



私に夫であるように、子供には父親であること。



大事にしていかないといけない。





何度こうして反省したかって話(苦笑)




初期入院で大変だったのは、

治療も入院も初めての主人は

次々来る看護師や医師とのやり取りが

執拗にあることから始まり

周囲の入院患者の音や声にも不穏になっていった。


そもそも、この頃の荒れていた時期の記憶は

主人本人は乏しいものであり

家族や近親者のみしかわからない。



とにかく耳に入る他人の

音、声、これらが主人を黒い空気で包み込んでいった。


足音、話し声、笑い声、扉の開閉、看護師の出す音、コップを置く音


とにかく音が主人を壊していく。



本人は覚えてないんだ・・

本当にわからないらしい。


片道40分車を走らせて、毎日医大に通う。

行くと昨夜から今までの不穏要因を、

ポツポツ話す。


耐えられない、誰もわかってない、と。


そこで、一日7500円の室料がかかる

個室に移動希望を出し【音】を減らした。


金銭面での援助は主人の実家、

保険で賄った。

生命保険、特に入院保障は凄く大事。


これがなかったら、主人の治療も満足にできなかったかもしれない。



1度目の入院は、初回抗ガン剤1コース。

食事制限もなく副作用もひどくでず、

順調に治療は始まった。




長く苦しい治療の始まり。

そして、新たに出てきた【人の音】による

モヤモヤの始まり、発覚。



私は新地大分で、主人との生活を始めるべく

住み慣れた地を離れてきた。

そして突然始まった夫の闘病生活。

文字やマスメディア、本で見たことのある

【骨髄移植】がまさか自分の家庭に起こるなんて・・・。



戸惑い、不安、プレッシャー、

そして決してなくなる事のなかった

主人への愛情。


これらによって、

私は数年をかけスッカリ鬱になってしまっていた。


主人を嫌いになれたのなら、

苦しむことはなかったのだろうと

いまは思えるけど、


当時は本当に苦しかった。


言うこと、やる事、全てのつじつまが合わず

まるで赤子のような宇宙人のような荒れた主人を支える私は未熟だった。



次回は、治療開始と家族。



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現在、同種移植後の

(ドナー様より骨髄を頂く移植)

再発による治療が始まっています。


寛解(病気の元が深い眠りについてる状態)

を維持していたのは、2年半。

また後の方で書くことになりますが、

同種移植をして2年半での再発は、

移植失敗との判断だそうです。


主人は再発と右往左往イライラモヤモヤしながら、頑張って向き合っています。



冒頭にも、書きましたがステロイドの副作用による不穏状態を上手に包み込んであげられず、

正面からぶつかる日々。



なんとか私自身スキルアップしていかないと

(ーー;)

初期:入院初期と涙

今日は久々のお天気で清々しい朝を迎えました。

主人のお誕生日です(*^^)

朝は大好きなホットケーキを作りました。

お夕飯も好物尽くしにしてささやかなお祝いしますー。



さて。

初期入院について。


一回目の入院は、多発性骨髄腫と診断された

2012年8月29日から約二週間後。


その時の検査数値


入院後一度目


初回受診時は、悪い骨髄が怒涛の生成を行っていて

マルク(骨髄穿刺)が出来ませんでした。

こちらの検査は入院後に行っています。


入院する頃になっても、

主人は病気や今の現状を理解しきれてはおらず

あまり差し迫った感はありませんでした。


初回のカンファレンスで話を聞いていくうちに、

主人の意識も大きく変わっていきました。

私たちが思っていた以上に主人の状態は悪く、

すぐに強い治療をしなければなりませんでした。


その為、結婚したての私たちに

まずは精子の冷凍保存をするかという問題が突きつけられました。


私は子供が欲しかった。

主人の両親も強く希望し、私たちは冷凍保存をする選択をしました。

けれど、冷凍保存する産婦人科と医大は車で40分は掛かる距離。

採取してから一時間以内に冷凍しないといけないということで、

採取した精子を運ぶ容器を前日の夜産婦人科に取りに行き、

採取してすぐに足の間に挟んで温めながら産婦人科へ運ぶという

大騒動の中運搬しました。


その後、今に至るまで、保存した精子はそのままです。


実際、治療に入ってからの生活は

とても子供を作るという選択を出来ない状態です。l

それは今も変わりません。


主人の再発がわかった時、

私は主人の分身になるであろう子供を

主人の為、主人の両親の為、そして家族の為に

授かるべき道を歩もうかとも思いました。


でも、現状厳しいことばかりです。

まずは生活をしていかなければならない。

私が仕事を出来なくなるのは大きな痛手です。


今でも葛藤はありますが、私ももう40になろうかという今、

諦めの心境です。



っと。

初回の入院は主人も大荒れで、主人自身痛みや病気に影響で

いっぱいいっぱいだったのだと思います。


私も骨髄移植をすることになるとか、

予後の話は五年後の想定ばかりだとか、

まるでテレビの中の話にしか思えないような事ばかりで

精神状態は酷い不安定状態だったように思います。


ただ、そのときはわからないんですよね。

冷静に自分がおかしなこと言ってるとか、行動が変だとか

全然思わない。

主人とどれだけ喧嘩になったかわかりません。


毎日車で40分掛けて主人のいる医大に通い、

イライラ主人に耐えられずほんの数十分で病室を出る事もしばしば。

決まって帰りの車の中で大泣きしながら運転。


家に帰りついて、子供から

ママ大丈夫?また泣いてきたの?と聞かれ

ブワっと涙があふれ出していました。

毎晩、毎晩、布団に一人で寝て横を見たら主人は居ない。

結婚して翌日には入院してしまった主人。


ちゃんとココに帰ってきてくれるんだろうか。


そんなマイナスなことばかり考えていた当時は、

涸れる事を知らないんだな・・涙って・・・


そう想う毎日でした。



次回は、初回治療とモヤモヤ



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以前のブログで遊びに来て下さっていた方々、

コメントを下さっていた方々が、

このお部屋にも来て下さるようになり

大変嬉しい想いと申し訳ない想いでいっぱいです。


名前も、戻しました(*^^)


またよろしくお願いいたします!!!!

初期:婚姻届と入院

病名がハッキリわかって、

主人は会社に治療の説明をして

私も親族に話をして治療入院の準備を始めた。


ただ。

この時点で私はまだ主人と入籍もしていないうえに

別れ話を頻繁にしている状態だった。

主人の母には、

『あの子は貴女を裏切るようなことしたうえに、こんな病気になって・・もう別れた方がいい』と仰った。


考えるまでもなかった。

母に「今別れてこの人は何で幸せになれるでしょうか。病気になって別れて、別れてどうなったかと気に病むくらいならせめて、病気が治るまでは一緒にいます。入籍してもいいでしょうか?」と。


もちろん子供たちの了承も必要なので、

病気の説明をしながら話をした。


この話をする半月ほど前、

主人は無茶をして二泊三日の入院をした。

子供たちはその時の主人の姿を目の当たりにしていたので、

本当に大丈夫なの?と不安に思っていた。


子供たちは二人で話し合って、こう言った。


ママが大丈夫なら、結婚していいよ。

でも、もし今ここから引っ越すとか転校するとかなるならそれも大丈夫。

ママが決めて。私たちはママに着いてきただけで何も決められない。


確かにそう。子供たちは私が主人と再婚する事に了承してくれて、

生まれ育った静岡を離れ大分に来たのだから。

それをこんな状況になったからどうしよう?と聞くのは、子供たちに対して失礼なことだった。



私は主人の闘病と、心を入れ替えるから・・という主人と

生きていくことにした。


そして、病名を告げられてから十日後、入院二日前に

私たちは入籍した。

婚姻届を出す日。

役所の駐車場で一時間以上大喧嘩してから役所に行った私たち。


本当に成長してない始まりの夫婦だったなぁ(苦笑)


主人は人生初めての入院。

何が不安に思い、何に恐怖を感じていたのか

当初の私はわからずにいた。


けれど入院初日から主人はずーーーっとイライラしていて

一つ一つに不満を言っていた。


看護師がくる度に、家族構成から今までの病歴。

ここに至るまでの病院履歴。

毎回聞かれるたびに怒りのボルテージは上昇していき、

まともに会話も出来ない状態で初日の夜を迎えた。


婚姻二日目に入院した主人。


ここから日増しに怒りと苦痛に悩まされる主人と、

二人三脚?で治療が開始する。



次回は、入院初期と涙



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んー、なかなか進みません(;一_一)


ぼちぼち、ゆっくりのんび~りアップします☆