多発性骨髄腫と家族

多発性骨髄腫の治療記録。 最近、治療の当本人である主人もブログを始めました。 こちら➡︎ https://ken-ken-ken.muragon.com

多発性骨髄腫について
治療、症状、患者家族として
残せるものを置いていきます。


2012年8月=主人37歳
多発性骨髄腫と診断
治療開始
2013年
治療→自家移植→
同種移植→寛解
2014年
寛解維持
2015年12月
再発
2016年1月
治療再開

介護福祉士
娘二人の母親してます。

初期:入院初期と涙

今日は久々のお天気で清々しい朝を迎えました。

主人のお誕生日です(*^^)

朝は大好きなホットケーキを作りました。

お夕飯も好物尽くしにしてささやかなお祝いしますー。



さて。

初期入院について。


一回目の入院は、多発性骨髄腫と診断された

2012年8月29日から約二週間後。


その時の検査数値


入院後一度目


初回受診時は、悪い骨髄が怒涛の生成を行っていて

マルク(骨髄穿刺)が出来ませんでした。

こちらの検査は入院後に行っています。


入院する頃になっても、

主人は病気や今の現状を理解しきれてはおらず

あまり差し迫った感はありませんでした。


初回のカンファレンスで話を聞いていくうちに、

主人の意識も大きく変わっていきました。

私たちが思っていた以上に主人の状態は悪く、

すぐに強い治療をしなければなりませんでした。


その為、結婚したての私たちに

まずは精子の冷凍保存をするかという問題が突きつけられました。


私は子供が欲しかった。

主人の両親も強く希望し、私たちは冷凍保存をする選択をしました。

けれど、冷凍保存する産婦人科と医大は車で40分は掛かる距離。

採取してから一時間以内に冷凍しないといけないということで、

採取した精子を運ぶ容器を前日の夜産婦人科に取りに行き、

採取してすぐに足の間に挟んで温めながら産婦人科へ運ぶという

大騒動の中運搬しました。


その後、今に至るまで、保存した精子はそのままです。


実際、治療に入ってからの生活は

とても子供を作るという選択を出来ない状態です。l

それは今も変わりません。


主人の再発がわかった時、

私は主人の分身になるであろう子供を

主人の為、主人の両親の為、そして家族の為に

授かるべき道を歩もうかとも思いました。


でも、現状厳しいことばかりです。

まずは生活をしていかなければならない。

私が仕事を出来なくなるのは大きな痛手です。


今でも葛藤はありますが、私ももう40になろうかという今、

諦めの心境です。



っと。

初回の入院は主人も大荒れで、主人自身痛みや病気に影響で

いっぱいいっぱいだったのだと思います。


私も骨髄移植をすることになるとか、

予後の話は五年後の想定ばかりだとか、

まるでテレビの中の話にしか思えないような事ばかりで

精神状態は酷い不安定状態だったように思います。


ただ、そのときはわからないんですよね。

冷静に自分がおかしなこと言ってるとか、行動が変だとか

全然思わない。

主人とどれだけ喧嘩になったかわかりません。


毎日車で40分掛けて主人のいる医大に通い、

イライラ主人に耐えられずほんの数十分で病室を出る事もしばしば。

決まって帰りの車の中で大泣きしながら運転。


家に帰りついて、子供から

ママ大丈夫?また泣いてきたの?と聞かれ

ブワっと涙があふれ出していました。

毎晩、毎晩、布団に一人で寝て横を見たら主人は居ない。

結婚して翌日には入院してしまった主人。


ちゃんとココに帰ってきてくれるんだろうか。


そんなマイナスなことばかり考えていた当時は、

涸れる事を知らないんだな・・涙って・・・


そう想う毎日でした。



次回は、初回治療とモヤモヤ



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以前のブログで遊びに来て下さっていた方々、

コメントを下さっていた方々が、

このお部屋にも来て下さるようになり

大変嬉しい想いと申し訳ない想いでいっぱいです。


名前も、戻しました(*^^)


またよろしくお願いいたします!!!!

初期:婚姻届と入院

病名がハッキリわかって、

主人は会社に治療の説明をして

私も親族に話をして治療入院の準備を始めた。


ただ。

この時点で私はまだ主人と入籍もしていないうえに

別れ話を頻繁にしている状態だった。

主人の母には、

『あの子は貴女を裏切るようなことしたうえに、こんな病気になって・・もう別れた方がいい』と仰った。


考えるまでもなかった。

母に「今別れてこの人は何で幸せになれるでしょうか。病気になって別れて、別れてどうなったかと気に病むくらいならせめて、病気が治るまでは一緒にいます。入籍してもいいでしょうか?」と。


もちろん子供たちの了承も必要なので、

病気の説明をしながら話をした。


この話をする半月ほど前、

主人は無茶をして二泊三日の入院をした。

子供たちはその時の主人の姿を目の当たりにしていたので、

本当に大丈夫なの?と不安に思っていた。


子供たちは二人で話し合って、こう言った。


ママが大丈夫なら、結婚していいよ。

でも、もし今ここから引っ越すとか転校するとかなるならそれも大丈夫。

ママが決めて。私たちはママに着いてきただけで何も決められない。


確かにそう。子供たちは私が主人と再婚する事に了承してくれて、

生まれ育った静岡を離れ大分に来たのだから。

それをこんな状況になったからどうしよう?と聞くのは、子供たちに対して失礼なことだった。



私は主人の闘病と、心を入れ替えるから・・という主人と

生きていくことにした。


そして、病名を告げられてから十日後、入院二日前に

私たちは入籍した。

婚姻届を出す日。

役所の駐車場で一時間以上大喧嘩してから役所に行った私たち。


本当に成長してない始まりの夫婦だったなぁ(苦笑)


主人は人生初めての入院。

何が不安に思い、何に恐怖を感じていたのか

当初の私はわからずにいた。


けれど入院初日から主人はずーーーっとイライラしていて

一つ一つに不満を言っていた。


看護師がくる度に、家族構成から今までの病歴。

ここに至るまでの病院履歴。

毎回聞かれるたびに怒りのボルテージは上昇していき、

まともに会話も出来ない状態で初日の夜を迎えた。


婚姻二日目に入院した主人。


ここから日増しに怒りと苦痛に悩まされる主人と、

二人三脚?で治療が開始する。



次回は、入院初期と涙



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んー、なかなか進みません(;一_一)


ぼちぼち、ゆっくりのんび~りアップします☆

初期:一度目の入院前後

前記事であったように、
おじいちゃん先生が見つけてくださった病気。


すぐに大学病院(以下、医大)を受診。
最初に紹介されて行ったのは、
医大の整形外科。
外科部長である先生は、診察室に入って間もなく
『おそらく「多発性骨髄腫」だと思われます。』
詳しい検査をしないとハッキリしないとのこと。
すぐにPET-CTを撮りましょうと仰られた。


医大のPET-CTは混み合っていて、
すぐに予約が取れない為
お隣の別府市にある最新画像処理センターというところに
数日後予約を入れる。
この時点で私たちは『ん・・?多発性骨髄腫?』
くらいな気持ちでいた。


ただ、PET-CTと聞き
テレビでよくやってるのって一回10万円くらいって
言ってたなぁ・・。
と思いながらこの時はPET-CTの料金を調べるだけだった。
不思議と【多発性骨髄腫とは何か】を調べる事はしていなかった。


料金を調べてわかったのは、
健康診断のように癌の検査を自らしてもらうときは
費用として10万円かかるけど、
悪性腫瘍の場合は保険が適用されて3万円程で済むとのこと。



検査当日は、しっかり10万円持っていった。


PET-CTは全身の癌を調べられる検査。
腫瘍がある場所は赤や緑、黄色く光って見える。
これは検査を受けて後日かかりつけ医で観られる。


四時間くらいかかっていたように思います。
この時から患者家族の付き添いとして、
待ち時間を不安抱えながら待つという時間の過ごし方を覚えました。



主人は
『ぐっすり寝ちゃってたよ』と少し微笑みながら
検査室から出てきました。


そしてお会計。


「お待たせしました。本日の検査結果は当施設より病院に送りますので、お会計で終了となります。」
『はい、よろしくお願いいたします。』
「本日の検査代金は3万円となります。」
『あ。。はい、それだけでいいんですか???』
「はい、こちらは保険適用の検査となっております。」
『あ、はい。わかりました。。』


主人は安くすんで良かったね、と笑って言っていた。



保険適用ってことは・・・・



と、主人には何も言わず、私は車に乗り込んでから


悪性腫瘍。。。悪性腫瘍なのか。。。
多発性骨髄腫ってなんなの・・!?


と渦巻く不安に泣き出しそうになっていた。
主人はいつもと変わらない横顔でドライブだね~と言いながら
運転していた。


帰りついて、ひとり、スマホで調べまくりました。



何にも良い事書いてなかった。
予後も2~5年とか書いてあって、なんで?なんなの?
って一人でおろおろしてた。


検査から数日で医大受診。
この日は主人の両親も一緒に医大へ来ていた。
整形外科の先生は、
『やはり全身に癌のようなものが見られます。
この病気は血液内科での対応となりますので、転科手続きをしますので、お待ちください。』と仰った。


そこから血液内科に移動して、待つ事三時間。
その間に血液検査やら尿検査をして待つ。
担当の先生が決まりました、と、医大の血液内科では
No.2の先生を紹介された。



もの凄く不安な表情で居るお母さんに、
お父さんは『お前がそんな顔してどうすんだ』と
きつく言っていた。


みんな不安だった。
なんだかハッキリよくわかってないだけに、不安だった。


先生は検査結果を見ながら、
間違いなく多発性骨髄腫だとその場にいた
主人、主人の両親、私、四人に伝えた。


そして医師からは、
・病気の進行状態から見て今すぐ治療をしなければならない。
・今日にでも入院してほしい。
・長い治療になります。
・腰の真ん中から骨髄を採る検査をします。


こんな感じの事を告げられた。


主人は仕事の事もあるので、最低でも一週間の時間を欲しいと伝えた。
先生は渋々承知してくれた。
転倒には十分気をつけてくださいと。


この時、私と主人は複雑なもめ事があって
別れ話が出るような状態であった。



私たちは夫婦になっていなかった。
まだ、婚約状態で、私は死別した前夫の子供を二人連れ、
再婚予定であった主人のいる大分県に引っ越してきたばかりのことだった。




次回は、婚姻届と入院。


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一度書いた記事をまた書くと言うのは、
なかなか進みません(;一_一)


コツコツしていきます(苦笑)