多発性骨髄腫と家族

多発性骨髄腫の治療記録。 最近、治療の当本人である主人もブログを始めました。 こちら➡︎ https://ken-ken-ken.muragon.com

多発性骨髄腫について
治療、症状、患者家族として
残せるものを置いていきます。


2012年8月=主人37歳
多発性骨髄腫と診断
治療開始
2013年
治療→自家移植→
同種移植→寛解
2014年
寛解維持
2015年12月
再発
2016年1月
治療再開
2019年9月
永眠しました

介護福祉士
娘二人の母親してます。

普通の日記7

ここ一ヶ月(事故後)は腰から膝までの神経痛が

=坐骨神経痛と言うのだそうです=

まだ痛くて、静脈注射で週三回ノイロトロピンをうっています。

腰や首の痛み、首からくる肩や頭痛には

ロキソニンが効くんだけど、

その腰から下の痛みと足先の痺れには

ロキソニンも湿布も効果がないんですね。


座っていても痛いし、歩いていても痛くなる、

歩いてるときに歩行スピードを緩めたり少し休むとラクになるので

その繰り返しです。


整形外科の先生によると、まだ暫く痛むだろうねってお話で。

事故は車も廃車になって同等の車を中古で買い替えたんだけど、

人の身体は時間がかかります(ノ_<)

それでも、どの部位も失ってはいないし、

ご飯も食べられる。

そう思ったらコツコツ治せるかなって。


私は生活が大変だなって思う程度でいいのだけれど、

やっぱり次女さんがかわいそう。


私の心臓を気にかけて、いつも買物に付き合ってくれていた次女さん。

そして、事故。

私は事故のショックから過呼吸やら狭心症の発作が出て救急車がくるまでヒィヒィフゥフゥしてたのですが、

その間次女さんは長女さんに連絡入れたり事故相手の人に私の病状伝えたりしてて。

何より私へ『ママ、しっかり鼻から深呼吸して』『大丈夫だよ、今救急車くるからね』と私の手を握ってずっと声かけしてくれてました。


救急車の中でもしっかり手を握ってくれたまま、救急隊員の方と話をしていて、

しっかりしてました。


そんな次女さんも、片道自転車で35分かかる登校が大変で頚椎捻挫が何度も悪化して

今まだ長引いています。

高校最後の体育祭も出られず、カラーをしていてその姿を笑われたり、友達との距離を感じてしまったり本当に悲しそうな表情をする日がありました。


女子高生って、どの年代も難しい事が多くあって、悩みも多いんですね。

幸い女子が少ないので狭い交友関係の中での事なんでしょうが、本来なかった【出来事】に悲しい想いをさせてしまっています。


社会へ出る前の大切な楽しい時間を、

痛みとリハビリに奪われてしまっているのは

同乗させていた私にとっては本当に申し訳ない気持ちになります。

家庭環境を一番に考え、進学という進路を早々に諦めた次女さん。



早く心身共に元気になってほしいです(^^)

そして、一日でも多くお友達との学生生活を楽しんでほしいと切に願います。




急に秋の風が吹き始め、

何時間でも外にいたくなる気候になりました。

私にとっては嬉しい季節ですが、

寒さも急に厳しくなるようですので

お身体大切にお過ごしください☆

普通の日記6

バセドウの通院は三ヶ月程、二週に一度のペースだそう。
本日はエコー検査をし甲状腺の状態を見ながら診察予定だったけれど、
医大は救急車が多く到着していたようで
到着した時点で検査は一時間半遅れ。
廊下で順番待ちしているおば様と患者できていた看護師さんが中に聞こる大きな声で【気持ち良くない話】をしていて、暫しそこから離脱。


受付のお姉さんは悪くないのに、何度もごめんなさい、本当にすいません、って。
誰も悪くない、状況。


病院で体調によって順番がかわるのは当然。
通院後の予定や交通事情、人それぞれ理由はあるのだろうけど・・。


そんな通院は良くも悪くも進展なし。
バセドウ治療が落ち着いたら、併発してる甲状腺機能低下症の治療もしていかないといけないそうなので長期戦。
あ、バセドウ病は甲状腺機能亢進症というそうです。


出過ぎてる治療をして、正常になったら、ジワジワ減りだすので、それをまた正常に戻すという説明でした。


何が理由で、どうして私が病気になるのかってコトではないので、今ココにあるものを受け入れていきます(^^)



今日のタイトル 気がかりなことは、
伯父についてのお話しです。
10日ほど前から連絡をしているにも関わらず全く連絡がとれず。
60代半ばにして独り暮らしなので、現役で三交代の製紙会社に勤めています。
そのため勤務の時間を考え連絡するも、やはり出ない。
この三日間は不安な想いが膨れ上がり100回近く電話するも、出ない。
携帯は持たない主義なので自宅の固定電話にかけていますが、ここまで出ないことは今までに一度もなく。


さすがにコレは・・
と、居ても立っても居られず、娘2人とプチ会議。
伯父はずっとひとりで生きてきて、私と私の子供達をまるで我が子、我が孫のように育ててくれた人。
私が小学6年生の頃から父親みたいな存在だった。(母とは何も深い関係はなく、友達みたいな感じ)
怒ることもメチャクチャ甘やかすこともしてくれる存在。そして、私に子供が産まれたら更にその甘やかしデレデレは加速(苦笑)
私が家を空け仕事に出る日は、会社の休みを合わせて来てくれて一週間でも二週間でも子供たちの面倒をみてくれる。
ご飯を作る事を苦にせず、いつも食べきれないおかずを買ってきたり作ったり。
夏休みや年末年始も決まって休みの間は我が家にいた伯父。


静岡から大分に引越す事を決めたとき、
新幹線のホームでボロボロ男泣きしていた。


私たちは伯父を置いて、大分の主人の元ヘきた。マメに連絡とったり、何に一度くらいは私や子供が会いに行けばいい、そう考えていたのは事実。
でもそれは、伯父がいつまでも元気で働いてて、電話したら出てくれて、伯父の家に行けばそこにいる、というのが当たり前にある事だと思っていたから。


伯父と連絡がとれず、先月ステント手術をした病院に電話をしてみた。
大きな病院なので個人情報の取り扱いには凄く厳しくて、私が伯父の身元引受人だという確認が取れない限りは何も話せないとの返事。
私と私の兄が保証人になっていたので、身元確認をして頂いて、確認が出来たと連絡がきたのは翌日。


伯父は脳出血で10日前からその病院に入院していた。担当医が、私が遠方にいるという状況を危惧してくださり、電話にて診察の内容を説明してくれた。幸い、麻痺もなく意識障害もない、手術をすることも必要ない病状との話だった。


ただ、伯父は活力低下が激しく、
全く食べ物を口にしようとしない、と担当医が困り果てたように話していた。
食事を摂らない、動こうとしない、歩くことさえしようとしない。
現段階では脳神経外科と精神科で投薬をしながら様子見をしているところ、と説明。


働くこと、我が家の娘たちの為に何かする事を生き甲斐としていた伯父。
私にとっても亡くなった父とはまた違う父親のようは存在。


短い時間ではあったけれど、電話口に出てくれた伯父は、うまく呂律が回らず全く覇気がない。半月前に電話で話した時はそんな事、微塵もなかったのに。



何が出来るか、何をするか、
後悔のないように考え動くのみ。



いつまでもあると思うな親と金
本当にそうだと思う。


いつかは・・・
それは頭の片隅のほんとに隅の隅にはあったけれど
今じゃないでしょ・・としか
思えない。


何一つ恩返しできてない。
また以前のような元気な伯父に戻ってほしい。




まだまだ、早い。
私も出来る事みつける。



一緒に頑張ろう!!!!!

初期:自家移植入院②

全記事に引き続き、
自家移植入院、治療について。
当時の手帳を参照しながら詳細がある日と、ない日があります。
主人が荒れてしまってた日は手帳を開く気力がなくて、、、
残っているものだけ抜粋。



4月8日 メルファラン投与 一日目
少し気分が悪そうだが、ウォーキングもしている。


4月9日 メルファラン投与 二日目
ほぼ食事摂取出来ず。吐き気(++)、嘔吐(-)、軟便(+)、発熱(-)
目を開けるのもきつく、携帯触れない状態。睡眠はかろうじてとれる。


4月10日 
食事摂取不可。ゼリーにて対応。
吐き気(++)、嘔吐(-)、軟便(+)、発熱(-)、浮腫(+)
食事が摂れないようなら点滴を変えるとの説明。
明日よりエンビラ。


※エンビラ※
|空気微粒子除去装置で1人1台の無菌室と呼ばれています。
|噴出し口から1.2メートル以内にきれいな空気が流れてきます。


4月11日 13時より自家移植、無菌室へ移動
午前中にシャワー浴を済ませる。
凍結していた細胞が臭くて本人、キツイとの話。
磯の香りが酷かったと話していて、暫くの間は海藻類が苦手に。
吐き気と悪心が重く、吐き気止め使用。


数日間、腰の痛みと発熱に寝込む。
食事もほとんど摂れずゼリー等を服用。


4月15日
白血球=0.70↓ 赤血球=4.25↓ ヘモグロビン=13.2↓
血小板=77↓
血小板が20を切った時点で輸血。


4月17日 day6 
白血球=0.20↓ 赤血球=4.01↓ ヘモグロビン=12.4↓
血小板=17↓ 自家移植後一度目の輸血


食欲なし。37度台の微熱続く。
口腔内が白くふやけた状態になる、アズノールにてこまめにうがい。
腹痛が出る。


4月18日 day7
白血球=0.20↓ 赤血球=3.85↓ ヘモグロビン=11.7↓
血小板=23↓ 輸血により少し上昇をみせる


強い腹痛にてCT、レントゲン検査。腸炎を起こしていた。
抗生剤、痛み止め投与。食事は絶食に。嘔吐(+)
体調がきついのと医師の態度、私の態度に激怒する。
医師と相談。


4月19日 day8
白血球=0.20↓ 赤血球=3.73↓  ヘモグロビン=11.3↓
血小板=18↓ 自家移植後二度目の輸血
昨日よりラクに感じる時間帯が増えたとのこと。
下痢が酷い。


4月20日 day9
白血球=0.73↓ 赤血球=検査ナシ ヘモグロビン=10.8↓
血小板=28↓
相変わらず腹痛と下痢が続く。


4月22日 day11
白血球=6.38 赤血球=3.90↓ ヘモグロビン=11.9↓
血小板=55↓



自家移植後、腸炎を発症したことにより腹痛も続き。
ポータブルトイレ排便し看護師さんに確認してもらう
という時期があり、
精神的に苦痛が続いていた事も辛かったようです。


ここまでday11
酷い痛みと苦痛は続いていましたが、
徐々に苦痛のない時間がここから増えていきます。
と同時に、言葉が出せる元気も少しずつ回復し、
私と医師、看護師さんへの不平不満もたまっていきます。


引き続き、次回は自家移植の治療について。




普通に日記タイトル以外は治療の詳細や状態なので、
読みに来て下さってる方には
んん??と思う事ばかりかもしれませんm(__)m



今日も笑顔多き時間を過ごせますように。