普通の日記6
バセドウの通院は三ヶ月程、二週に一度のペースだそう。
本日はエコー検査をし甲状腺の状態を見ながら診察予定だったけれど、
医大は救急車が多く到着していたようで
到着した時点で検査は一時間半遅れ。
廊下で順番待ちしているおば様と患者できていた看護師さんが中に聞こる大きな声で【気持ち良くない話】をしていて、暫しそこから離脱。
受付のお姉さんは悪くないのに、何度もごめんなさい、本当にすいません、って。
誰も悪くない、状況。
病院で体調によって順番がかわるのは当然。
通院後の予定や交通事情、人それぞれ理由はあるのだろうけど・・。
そんな通院は良くも悪くも進展なし。
バセドウ治療が落ち着いたら、併発してる甲状腺機能低下症の治療もしていかないといけないそうなので長期戦。
あ、バセドウ病は甲状腺機能亢進症というそうです。
出過ぎてる治療をして、正常になったら、ジワジワ減りだすので、それをまた正常に戻すという説明でした。
何が理由で、どうして私が病気になるのかってコトではないので、今ココにあるものを受け入れていきます(^^)
今日のタイトル 気がかりなことは、
伯父についてのお話しです。
10日ほど前から連絡をしているにも関わらず全く連絡がとれず。
60代半ばにして独り暮らしなので、現役で三交代の製紙会社に勤めています。
そのため勤務の時間を考え連絡するも、やはり出ない。
この三日間は不安な想いが膨れ上がり100回近く電話するも、出ない。
携帯は持たない主義なので自宅の固定電話にかけていますが、ここまで出ないことは今までに一度もなく。
さすがにコレは・・
と、居ても立っても居られず、娘2人とプチ会議。
伯父はずっとひとりで生きてきて、私と私の子供達をまるで我が子、我が孫のように育ててくれた人。
私が小学6年生の頃から父親みたいな存在だった。(母とは何も深い関係はなく、友達みたいな感じ)
怒ることもメチャクチャ甘やかすこともしてくれる存在。そして、私に子供が産まれたら更にその甘やかしデレデレは加速(苦笑)
私が家を空け仕事に出る日は、会社の休みを合わせて来てくれて一週間でも二週間でも子供たちの面倒をみてくれる。
ご飯を作る事を苦にせず、いつも食べきれないおかずを買ってきたり作ったり。
夏休みや年末年始も決まって休みの間は我が家にいた伯父。
静岡から大分に引越す事を決めたとき、
新幹線のホームでボロボロ男泣きしていた。
私たちは伯父を置いて、大分の主人の元ヘきた。マメに連絡とったり、何に一度くらいは私や子供が会いに行けばいい、そう考えていたのは事実。
でもそれは、伯父がいつまでも元気で働いてて、電話したら出てくれて、伯父の家に行けばそこにいる、というのが当たり前にある事だと思っていたから。
伯父と連絡がとれず、先月ステント手術をした病院に電話をしてみた。
大きな病院なので個人情報の取り扱いには凄く厳しくて、私が伯父の身元引受人だという確認が取れない限りは何も話せないとの返事。
私と私の兄が保証人になっていたので、身元確認をして頂いて、確認が出来たと連絡がきたのは翌日。
伯父は脳出血で10日前からその病院に入院していた。担当医が、私が遠方にいるという状況を危惧してくださり、電話にて診察の内容を説明してくれた。幸い、麻痺もなく意識障害もない、手術をすることも必要ない病状との話だった。
ただ、伯父は活力低下が激しく、
全く食べ物を口にしようとしない、と担当医が困り果てたように話していた。
食事を摂らない、動こうとしない、歩くことさえしようとしない。
現段階では脳神経外科と精神科で投薬をしながら様子見をしているところ、と説明。
働くこと、我が家の娘たちの為に何かする事を生き甲斐としていた伯父。
私にとっても亡くなった父とはまた違う父親のようは存在。
短い時間ではあったけれど、電話口に出てくれた伯父は、うまく呂律が回らず全く覇気がない。半月前に電話で話した時はそんな事、微塵もなかったのに。
何が出来るか、何をするか、
後悔のないように考え動くのみ。
いつまでもあると思うな親と金
本当にそうだと思う。
いつかは・・・
それは頭の片隅のほんとに隅の隅にはあったけれど
今じゃないでしょ・・としか
思えない。
何一つ恩返しできてない。
また以前のような元気な伯父に戻ってほしい。
まだまだ、早い。
私も出来る事みつける。
一緒に頑張ろう!!!!!
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