多発性骨髄腫と家族

多発性骨髄の治療記録です。

多発性骨髄腫について
治療、症状、患者家族として
残せるものを置いていきます。


2012年8月=主人37歳
多発性骨髄腫と診断
治療開始
2013年
治療→自家移植→
同種移植→寛解
2014年
寛解維持
2015年12月
再発
2016年1月
治療再開

介護福祉士
娘二人の母親してます。

初期:婚姻届と入院

病名がハッキリわかって、

主人は会社に治療の説明をして

私も親族に話をして治療入院の準備を始めた。


ただ。

この時点で私はまだ主人と入籍もしていないうえに

別れ話を頻繁にしている状態だった。

主人の母には、

『あの子は貴女を裏切るようなことしたうえに、こんな病気になって・・もう別れた方がいい』と仰った。


考えるまでもなかった。

母に「今別れてこの人は何で幸せになれるでしょうか。病気になって別れて、別れてどうなったかと気に病むくらいならせめて、病気が治るまでは一緒にいます。入籍してもいいでしょうか?」と。


もちろん子供たちの了承も必要なので、

病気の説明をしながら話をした。


この話をする半月ほど前、

主人は無茶をして二泊三日の入院をした。

子供たちはその時の主人の姿を目の当たりにしていたので、

本当に大丈夫なの?と不安に思っていた。


子供たちは二人で話し合って、こう言った。


ママが大丈夫なら、結婚していいよ。

でも、もし今ここから引っ越すとか転校するとかなるならそれも大丈夫。

ママが決めて。私たちはママに着いてきただけで何も決められない。


確かにそう。子供たちは私が主人と再婚する事に了承してくれて、

生まれ育った静岡を離れ大分に来たのだから。

それをこんな状況になったからどうしよう?と聞くのは、子供たちに対して失礼なことだった。



私は主人の闘病と、心を入れ替えるから・・という主人と

生きていくことにした。


そして、病名を告げられてから十日後、入院二日前に

私たちは入籍した。

婚姻届を出す日。

役所の駐車場で一時間以上大喧嘩してから役所に行った私たち。


本当に成長してない始まりの夫婦だったなぁ(苦笑)


主人は人生初めての入院。

何が不安に思い、何に恐怖を感じていたのか

当初の私はわからずにいた。


けれど入院初日から主人はずーーーっとイライラしていて

一つ一つに不満を言っていた。


看護師がくる度に、家族構成から今までの病歴。

ここに至るまでの病院履歴。

毎回聞かれるたびに怒りのボルテージは上昇していき、

まともに会話も出来ない状態で初日の夜を迎えた。


婚姻二日目に入院した主人。


ここから日増しに怒りと苦痛に悩まされる主人と、

二人三脚?で治療が開始する。



次回は、入院初期と涙



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んー、なかなか進みません(;一_一)


ぼちぼち、ゆっくりのんび~りアップします☆