多発性骨髄腫と家族

多発性骨髄の治療記録です。

多発性骨髄腫について
治療、症状、患者家族として
残せるものを置いていきます。


2012年8月=主人37歳
多発性骨髄腫と診断
治療開始
2013年
治療→自家移植→
同種移植→寛解
2014年
寛解維持
2015年12月
再発
2016年1月
治療再開

介護福祉士
娘二人の母親してます。

いろいろ乗り越えること。

主人の初期治療前にササッとこの記事を埋め込みます。



『ふつーのお話。』
の、前記事に大好きなブロガーさんがこうコメントをしてくれました。



【神様は越えられない試練は与えません。
だから大変な出来事が来る人は「試練を乗り越えられる人」
と神様が見込んだ魂のレベルの高い人。】
なのだと。


そして
【将来若しくは来世は幸せいっぱいです】とも言ってくださって。



今の私も、過去の私もいろんなことがあるけど、
愛する大切な子供と主人が居てくれて幸せだって
心から言える。










私のこれまでの人生はいわゆる順風満帆なものではなくて
何度も逃げ出したいと思うデキゴトが転がっているものでした。



父は五歳の時に他界。父の記憶はうっすら場面だけが思いだせる程度。
それでも愛しさは残っています。


母は父の他界後数年間、昼夜私たちを育てるために仕事をして
身体と心を壊して完全に仕事をしなくなり、親戚のつてで全然知らない土地へ引越。


その親戚=母の義理の兄と母は恋仲になり、その義兄の家庭は崩壊、離婚。
親戚からは白い目で見られるようになり絶縁状態に。
“その人”は自然と我が家に住みつくようになり子供の眼も気にせず
母と男女の関係を持つようになり。


私は10歳の時から“その人”の性の玩具として扱われるようになり、
売り物にされてボロボロになりました。
その行為がナニをしているのかわかった頃には妊娠して、14歳を前にして中絶。その間に、12歳離れた妹が生まれて、うちの中はグチャグチャ。


でも。
妹が可愛くて仕方なくて育児放棄していた母に代って私が育てました。



母は見て見ぬふりをしていたように思うけど知っていたのかどうか、
わからないし、今はもう何も考えていません。


家は生活保護を受けていたけど酷い生活状態で夜な夜な無人販売で野菜を置いてある場所を自転車で回って野菜を集めて回っていた。
電気も止まる、水も出ない、そんなのザラな生活でした。


それから母の知人の勧め?母の要望で
14歳の時パーティーコンパンニオンの仕事をするようになった私は
月に50万近く稼ぐようになり全部生活費に。
その頃やっと“その人”は家に出入りしなくなり母との関係を終わらせた。
母や私たちへの暴力が凄まじいものでした。
一回り離れた可愛い妹にふつうの生活をさせたくて、しっかりご飯食べさせたくて、必死に働きました。


学校なんか行けるわけもなくて、学力も知識も何にもなかったけど
生きていけるって、何の根拠もなく信じてた。



それからもいろんな事があった。
良いことよりも悪いことの方が格段に多かったと、思う。


それでも私は今生きていて、今を幸せだと思う。




自分の経験が誰かの何かに役立つのであれば・・、
そう思って救えた命もあれば、どうしても守り切れずに見送った命もある。


ひとりひとりの力は微力かもしれないけど、
何もしないよりは良いと今でも思う。



私はいま主人と子供を守ることで精いっぱいだけど、
それは私が動けることが最低条件であって、
私自身が自分で起き上がって立ち上がって一歩ずつ一歩ずつ進まないと
成り立たない。



悲しみに浸ることも、後悔することも、大切だと思う。
それでも生きて動いて歩むことが出来る人にしか出来ないことに
眼を向けないといけないんだと、私は思う。



悲しみは人を強くすると、
後悔は繰り返さないようにすればいいと、
そうして一つずつ学んでいくしかないんだと、そう思う。




自分以外の人が見れば
そんなことで?それだけで?と些細なことだろうと思う事でも
当人にとっては大きな問題であることもあって
何の目盛もないことばかり。


それは悲しいことでも嬉しいことでも幸せであっても言えることで
どう感じられて、どう受け止められて、どう思えるか、
そういうモノなんだと思う。



私は不幸だ、私はかわいそうだ、私はダメだ、私は生きてる意味がない。
底なんてない思考にはいくらでも堕ちることが出来てしまう。


けれど、そこから抜け出すのも、そうでない状況に出来るのも
自分自身にしか出来ないことなんだと思う。




【思う】という言葉で、私はこう思うのです、
という表現の仕方で表現する方法しか私には出来ません。
私は専門家でもないし、何をもっているわけでもないし、
これまでに想い、行動して、考えて、知ってる中でしか話が出来ないから。




唯一、ここまで生きてきた中で言えることは
『自分自身の始まり』
生まれてくること、生まれてくる場所を
自分自身では選べないこと。


そして
『自分自身の終わり』
命の終わりが、自分の意思で選択しない限り
いつなのか、どういうふうになのか、どこなのかわからないこと。



それは数分後かもしれないし明日かもしれないし
驚くぐらい先なのかもしれない。




だから、特別でなくてもいいけれど、
大切に過ごしたいなと、朝目覚めたときに思います。
頭で描いている通りに過ごせなくても、
いってらっしゃいって送り出せて、
その姿が今日見られた事に良かったなって思えて
そんな日常の積み重ねで幸せを見いだせるのかなって、今日も思います。



いま、思いっきり喉風邪ひいてて、、
持病に加えて鼻水やら痰やら咳で苦しいなぁと立ち止まる時間も多いけど
家族にうつさないように必死です(苦笑)


私の感じてる『苦しい』を誰にも感じてほしくない、その一心です。




押しつけも、誰かを否定してるわけでもない記事です。
私の、私が頑張るための、頑張れてるなって思うための
メモ書きみたいな記事です(-_-)



今日、明日、半年後、何年後
どうなってるのかわからないけど


私が在るうちは
生きて、活きてる一日を過ごせていけたらいいなって
そう思うイマでした。





おしまい。


※この『おしまい』は一回り離れた妹の4歳なりたての姪っ子ちゃんの口癖です!(^^)!
いろんなお遊戯?踊りや歌を妹が動画で送ってくれるんですが、必ずやり切った後に『おしまい!(笑顔)』と締めくくってます。可愛すぎて本当にデレデレになります(笑)