多発性骨髄腫と家族

多発性骨髄腫の治療記録。 最近、治療の当本人である主人もブログを始めました。 こちら➡︎ https://ken-ken-ken.muragon.com

多発性骨髄腫について
治療、症状、患者家族として
残せるものを置いていきます。


2012年8月=主人37歳
多発性骨髄腫と診断
治療開始
2013年
治療→自家移植→
同種移植→寛解
2014年
寛解維持
2015年12月
再発
2016年1月
治療再開
2019年9月
永眠しました

介護福祉士
娘二人の母親してます。

健康であれば幸せ



なかなか治療記事が進みません。
そうしてるうちに、主人の治療関係書類をすべて段ボールに梱包しました。


引っ越しまであと二十日を切りました。
来週から一週間、実家に帰省することにしました。


主人の看病を第一に考えてくれていた母と兄、妹と過ごします。
父の最後の33回忌法要も主人の体調が安定せずに行けなかったけれど、
もちろん誰も何も言わず、主人を想い支えてくれた家族です。




さて。


荷造りがこんなにつらいものだと思わず、
引っ越しを決めた自分を恨んでさえいる今。


主人が使っていたものを一つ一つ手にするたびに、
主人が持っていた、主人が使っていた、その姿が次々出てきて
目を大きく開いたまま涙があふれてずびずびになって。


進まない、本当に時間がかかる。
でも。
しなければならない。
でも、でも、でも。


仕事の時間になってフラフラしながら支度して。


施設につくまで一泣きして、そんな目のまま仕事に入って。



ふっと現実に戻る。



おばあちゃん、おじいちゃんは
椅子から立ち上がるだけで5分以上かけて
一口水を飲みこむことも命がけで
トイレに行くのにも一歩ずつ一歩ずつ二人がかかりで進んで


大切なブロガーさんが仰ってくださった
タイトルにも書いた【健康であれば幸せ】


忘れてはいけないって
苦しいのは生きてるからであって
でも生きている、生かされている、そこに何かあるんだって



ちゃんとは生きなくてもいいけど
生きてるってことだけ忘れちゃいけないなって



感じる心と
見える思いを
忘れちゃいけないって



時々見失うくらいは笑って許してくれそうだけど
ずっとずっと見失っちゃいけないって



そうだよね。




明日は甲状腺のCT検査。
少しでも、微量でも悪化さえしてなきゃ、それでじゅうぶん。
私の心臓も、まだ笑顔で頑張って。




まだ暫くやることのこってるからね。

★プロレス談義への想い★

☆今回の記事は主人のブログ有志様へのメッセージです☆



記事を書き上げるまでにお時間いただきました。


主人にとって、しばいぬさんとのやり取りは病室で過ごすツライひとりの時間を和やかにしてくれるひとときでした。

プロレスと音楽が心底好きで、マニアとか、その言葉が合っているのかどうかわかりませんが、ゃゃ偏りのある【愛】だと思います。



私も一緒に会話を楽しめるように、

主人の読んでいた週プロを持ち帰りノートにあれこれ書き込んでは学んでいたのですが…

あまりにも脳が衰退していて全くと言っていいほど覚えられず(苦笑)


そのうち、主人から

『プロレスの本をふむふむと読んでは眉間にしわ寄せてる○○ちゃんが可愛いくてたまらない』

と言われて(惚気になってたらすいません)

わからなくても良いかな…と、半分諦めの心境になっていました(苦笑)



お友達や会社の同僚にも数名プロレスファンの方がいましたが、病床についてからはなかなか話す機会もなくなっていました。



主人が亡くなってから、しばいぬさんが

『暫く記事が書けずにいたけれど、書いてくださいと言われていたので…』そう仰ってくださった記事に胸が熱くなりました。


しばいぬさん、奥様の想い、お言葉、

本当に救われています。

お二人の温かさが私は大好きです。

主人にも何度か話した事があります。


『夫婦でこんなにも素敵な共通の趣味があるって、なんて素敵なんだろう』と。



この下の画像は、主人が亡くなる前日、

結婚記念日で外出した際に買った本です。







帯の裏にはこんな言葉が載っていて




とても分厚くて、重くて、がっしりしていて

病室に帰ってからベッドで休む主人に

『この本を持って読むだけで、相当なリハビリになるね』と話していました。


結局、1ページも読まず。

なんだろう、

読んでなかったけれど

内容だけはしっかり見えていたのかなって

そう思えてなりません。



いつか、暖かくなった頃に、

この本を持ってしばいぬさんご夫婦のお店へ

主人も好きだった珈琲をいただきに

お伺いしたいと思っています。



長くなりましたが、

急激に冷え込んできましたので

お身体に無理なくご自愛されお過ごしください。



笑顔のキャッチボールが似合う、

素敵なご夫婦へ


ありがとうございました。

タイトル思いつかず。


病気に関係ない記事を他で書く予定でいる、といった旨の記事を書いたのですが
主人曰く“遅筆”な私がいくつものブログを作ったところで管理していけるのか
不安しかない…  ということで


暫くはここでぼそりとお邪魔します。


病気関連記事に関してはタイトルかタグでわかるようになっているので
そちらを参考にしてください。







主人を見送ってから二か月。


『月日が経つのは早い』と、周囲へ話しますが、
正直あまりよくわからない。


以前の記事にも書いていたと思いますが、
もう二か月とも思うし、まだこれしか経ってないんだと思うこともあって。



私個人の日常生活は主人を見送った瞬間からガラリと変わったけれど、
世の中は何も変わっていなくて。
それも当然で…


通夜や葬式に追われて一息ついて一週間
あちこち手続きや連絡に回って気づいたら二週間


この頃になって、まともに食事を食べていないことを子供が心配して
世話を焼かれることが増えていった。


今後の生活や主人の実家とのやりとり、金銭的な面をごっそり整理したのが三週間目
口を開けば主人の話ばかりをしては一人泣きする私を案じた娘のところへ暫く滞在四週間目



子供たちは私が主人の話ばかりすることを一度も咎めることもなかったし、
いつもそこから話を広げては『お父さんってこうだったよね』と一緒に過ごしてくれて。



そんな穏やかな時間とは別のところでも脳は動いていることを思い知らされる…



頭のどこか隅のほうで目が覚めてから寝付くまで、
ずーっとずっと主人を看取ったその瞬間が住み着いていて。



ほんとふとした瞬間、
気が緩むと主人を見送ったあの日が再生される。
病院へ到着する二つ前の信号、既読にならないラインを何度も確認している自分と、
早く信号変わってよーと声に出して言う自分。


虫の知らせとかそんなもの全くなかったし、
何も…予感めいたものあったかなって思い返しても、本当に何もなくて。
何かがあっても止められるものではなかったし、
何をどうできることもなかったのだけれど、


あと一時間早く病院に着いてたら会話できたんだなぁと思ったら深く後悔。



先生も私が病室に着くまではなんとか・・・と、心肺蘇生しながらずっと声掛けしてくださっていて。
看護師さん達も涙を浮かべながら背中をぽんぽんとさすってくれたりして、、


忘れたくない。でも、今はまだ思い出すのが苦しくて。
いつになったら大丈夫になるかなんてわかんないけど、   今は無理。




想う気持ちが“魂となった主人”へ届くのだと和尚様から聴き、
これでいいんだ、間違ってないんだと言い聞かせては
泣いて笑って泣いて泣いての繰り返し。




どこにも答えや正解なんて存在しないし、
終わりなんてどこにもない。



主人への愛はずっとずっとなくなることなくていいんだから
いいんだよねって、そう、思う。



生活も仕事もあって、引っ越しも決めて手続きを済ませた今日。
感情は取り残された感じのまま、それでも一日が終わる度に何かは前進している。



今は、そんな感じ。