多発性骨髄腫と家族

多発性骨髄の治療記録です。

多発性骨髄腫について
治療、症状、患者家族として
残せるものを置いていきます。


2012年8月=主人37歳
多発性骨髄腫と診断
治療開始
2013年
治療→自家移植→
同種移植→寛解
2014年
寛解維持
2015年12月
再発
2016年1月
治療再開

介護福祉士
娘二人の母親してます。

初期:初期治療1コース目、その二

活発な梅雨前線の影響は
一番に我が家の洗濯物へ影響を及ぼします(;一_一)


雨は苦手です!
イヤな思い出が強くある雨は、
苦しくなったり胸が痛くなったり
身体のアチコチにない筈の痛みを感じます。


あと。
傘を持って買い物して歩くのが苦手なんですねぇ。
可能な限り走ります(笑)


熊本では死者も出るこの大雨。
子供とよく話すのが何歳だからって事ではないけれど
80、90歳まで生きてきて自然災害でお亡くなりになるなんて
本当に切ない。
自然災害には人間の力なんて微々たるもの。
本当に危険が迫っている時は早めの避難が大切ですね。


ご冥福をお祈りします。




前回、おしゃべりが過ぎて二節にわたっての初期治療1コース目。


使用した抗がん剤
・ベルケイド注射 
 1日目 4日目 8日目 11日目 
*副作用:末梢神経障害、便秘、肺炎、吐き気、貧血の悪化


・エンドキサン内服
 1日目 8日目 15日目 22日目
*吐き気、血尿
・デカドロン注射
 1日目~4日連続 8日目~4日連続 15日目~4日間連続
*高血糖、骨粗鬆症、高血圧、ムーンフェイス、感染症
28日で1コース



実際起きた副作用
・脱毛
・ムーンフェイス
・しゃっくり
・倦怠感
・精神興奮状態=イライラ
・高血糖
・便秘


大きな副作用はでなかったのですが
とにかくイライラしまくる!
今だから酷かったよねぇと話は出来るのですが、
本人は全く覚えていません(;一_一)


今日はもう病院になんて行かないんだから!!!と、
何度思ったかわかりません。
一度もお休みしなかったですが。。。
ですが、この通い続けると言うことで得たものもあります。


もちろん主人に会いに行く事。
*この時点では新婚ホヤホヤ?一か月未満。
そして、看護師さんや医師、病院の守衛さん達と仲良くなれたこと。
やはり患者を支える家族として如何に医療従事者の方々と
密な話をして状況を理解してもらえるかというのが大事だなぁと思いました。


また、逆に私が不調なとき、私自身が気づいていないにも関わらず
看護師さん達が『奥さん顔いろ悪いんな、どうかした?』『よう痩せてから、ご飯食べてる?』等々、本当にいろんな声をかけて頂いてました。
主人が病室で暴れる最中も、病室を飛び出して看護師さんや医師とカンファレンス室で泣きながら訴えをしたこともあります。
親身になって話を聞いてくれる時間を割いて下さる皆様、
本当にイイ病院で治療が出来ていたと言えます。


治療には大きいも小さいもありませんが、
私たちにとっては初めてのことばかり。
不安や心配が尽きない中での治療は、安心や安堵はありません。
密に話を聞き納得できる事で初めて様々な不安や心配の要因を受け止めて
向き合う事が出来るのだと思いました。



医師も看護師も現場で働いていらっしゃる方々にとっては、
何人もいる中の一人ですが、
私たちが命を預けるのは担当医であり、担当の看護師さんです。
私たちが近付いて、心の中を打ち明ける事はとても大切です。
理解してもらい協力してもらう。
私たちが出来る事は何かを聞き、出来る事+αを行う。
二人三脚で治療に望む姿勢は必ず何かを生み出してくれます。


不安があるなら解消するために自ら動く。
心配があるから納得する為に話をする。


患者、患者家族も努力が必要なんですね。



そして。
やはり、当たり前のことだけど
一番辛いのは患者当人であるという事を絶対に忘れてはいけない。
これを心に、頭に、全身に置いていた事で様々な苦難を乗り越えてこられました。
自分に言い聞かせる事で、自分に問う事で。



今でも葛藤はあります。主人がどうなっても私が壊れずに支えられるのか、
そう不安になって主人の寝顔を見ながら涙がこぼれる日もあります。


でも。
主人は生きようと頑張ってくれています。
家族であろうと、一人の人間として生きた証を残そうと努力しています。



私もそんな主人を鬼の形相ではなく、笑顔で支えていきたいと
強く、強く、つよーーーーーーく!思っています((+_+))



次回は、通院での2コース目と大暴れ



雨降りの続く6月ですね。
皆様お身体ご自愛されてお過ごしください(^-^)