多発性骨髄腫と家族

多発性骨髄腫の治療記録。 最近、治療の当本人である主人もブログを始めました。 こちら➡︎ https://ken-ken-ken.muragon.com

多発性骨髄腫について
治療、症状、患者家族として
残せるものを置いていきます。


2012年8月=主人37歳
多発性骨髄腫と診断
治療開始
2013年
治療→自家移植→
同種移植→寛解
2014年
寛解維持
2015年12月
再発
2016年1月
治療再開
2019年9月
永眠しました

介護福祉士
娘二人の母親してます。

おはようございます

先日の記事にコメントをくださった皆さん

ありがとうございます。



こんな

マイペースにもほどがある、

と、気まぐれに更新しているにも関わらず


毎日たくさんの方が訪問してくださっているのも事実


本当にありがたいです。


コメントのお返事に今暫くお時間ください。

心から感謝しています。




最近、

ニュースで芸能人の自殺報道を見かけます。

普段は殆どテレビのついていない我が家に、

悲しいワードが流れるのはなんとも言葉に出来ません・・。


自分自身の選択によって、

今のこの瞬間を最期のトキとするのは

どうなのでしょう・・。


個人的な意見としては、

生きたくても生きられなかった人がいるのに

自ら命を経つという選択に向かってしまうのは

あまりにも悲しく辛いものです。


与えられたその命、この命を、

どう全うしていくのかは

個人によるものなのでしょうが、、



それでもやっぱり

私は理解に苦しみます。



どうか今日も皆さんの一日の中に

笑顔になれる瞬間が多くありますように。

一周忌を終えて

大変ご無沙汰しています。



9月

主人を送り出してから

あっという間に一年が経ちました。


泣く日もあり

笑える日もあり

落ち込む日もあり

悩む日もあり

空を見上げられない日もあり

風が心地いいと感じられる日もあり

体調が悪い日もあり

聴いていた歌詞が息苦しさを感じる日もあり

食事が美味しいと思う日もあり

子供の笑顔に涙が突然溢れる日もあり



いろいろです。


そして、私は間違いなく、生きています。


いろんな感情と想いと

上手に生きていられているかはわかりませんが

主人に顔向けできないような生き方をした日は

一日もありません。



それで良いと思います。

主人も笑顔で『うんうん、それがけいちゃん』

と言うでしょう。


私は飾らずに、いまを生きていられています。


最期の瞬間まで

主人が主人のまま生き抜いたおかげです。



また改めて。



過酷な状況が続いていますが、

どうか、笑顔になる瞬間が一つでも多く

みなさんの元へ訪れますように。

年始4ページ

前記事から早くも三ヶ月


月毎日の10日は必ず主人の実家へ行き

近況報告を主人と義父母にして

まだ泣きながら帰ってくる感じ



3月10日 六回目の月命日

思いもしないトラブルもあって、

複雑な心境で帰ってくる


4月10日 七回目の月命日

主人を想う友人が一緒に行ってくれる

熱い気持ちで手を合わせてくれた

友人の広い心に感謝


5月10日 八回目の月命日

次女が休みで一緒に行く

主人の思い出話をしながらのドライブは

心が和んで助かった



そろそろ・・

と言う感じで初盆の話や一周忌の話がチラつき出して、月日の流れをまた感じさせられる


次女と一緒に行った日は、

義父と義母の会話の中に

『○○ちゃんの再婚相手にどうかって話してた子のこと?』と驚くワードが出てきて

スルーして聞こえないフリしてたけど

そんな話もでてるんだなぁと


私は二度と結婚しないと娘二人にも

義父母にも伝えていて


主人への愛が強く固く心に残っている事と

子供達にとっての父親と

私にとっての夫が

最愛の主人にしておきたいから


まだまだそっとしておいてほしい。



主人の病気に関わる記事は現時点でまだ作れる段階にならないので、

その記事の更新を待ってくださっている方

本当にごめんなさい。



なにかと自由に思うまま動けない現状は

誰しも平等にあるものです。

そのなかで心が安まるような温まるような

そんな時間を大切に過ごしてください。


何が優先されるべきことなのか、

今の自分にできることはなんなのか、

慎重に考え想い過ごしていきたいと

強く思います。




それでは、また(^^)