このタイトルにしたらタイトルで悩まなくていいような気がする…
気が変わったら変わると思います(._.)
一昨日は自分のバセドウ受診。
主人が通い続けていた医大へ行きます。
医大へ向かう道中、たくさんの思い出がよみがえってきて
まだまだ涙無くして医大手前の坂は通れません。
駐車場入り口にいる守衛さんにも
『まだだなぁ~ まぁぼちぼちでいいやろ』と
オレンジジュースを手渡されました。
転院によって主人の医大受診から離れて一年弱。
それでも気にかけてくださる方がまだたくさんいます。
本当にあったかい病院です。
血液検査を終えて内科で待っていると、
外来の看護師さんや中央処置室の看護師さん、
ソーシャルワーカーさんが次々声をかけてくださって。
たくさん主人の話をしました。
『こうして話すことが一番いいんだって』
みなさんそう言って話が止まりません(嬉)
そうこうしてるうちに診察へ呼ばれて主治医とも主人の話。
みんな主人のこと大好きなんだな。。っと笑顔がこぼれる。
一時間近くお話をして、診察室を出ると
化学療法室の看護師さんが「やっと出てきた」と笑いながら出迎えてくれました。
私が来てることを外来の看護師さんから聞いて会いに来てくれたそう。
もう。。。。ほんとあったかい。。。
こんなに好いひと達に恵まれてたから主人も最期まであきらめずに
治療を継続できていたんだと思います。
感謝ばかりの一日でした。
一度かかったら完治もなくて、絶対進行してしまう病気。
それでも誰も全く諦めようとしなかったし、
『そんなことしても無駄なんだよ!』と言い放ったこともあった主人と
大切に大切に向き合ってくれた病院です。
移植後なんてタクロリムス(免疫抑制剤)を通常の半年も長く飲むことになって
微量な0.2mgまで0.1mg単位の調整にどれだけのやりとりが続いてたか…
一つ一つ思い返してみても、真剣に向き合ってくれていたからこそ、
再発時の対応も遅れることなく生活が出来たのだと思います。
全身の骨に細胞癌が作られる痛みって、どんなに痛いだろう。
ふとしたことでいろんな箇所で骨折するし、かと言って血液状態も悪いから
大きな手術なんかもできないし、いつしか気づけば慎重に慎重に生活することが
当たり前になってて、生きづらかっただろうなって思います。
なんか、まだ思い出そうとすると胸苦しくなるので、
少しずつですね、ゆっくり病気関連の記事書いていきます(..)
さて、今日も笑顔で元気にお仕事してきます。
真顔でお仕事してたら施設の利用者さんに認識してもらえなかったので、
笑顔、笑顔です(^^)
笑顔のキャッチボールが大切です。