多発性骨髄腫と家族

多発性骨髄腫について
治療、症状、患者家族として
残せるものを置いていきます。


2012年8月=主人37歳
多発性骨髄腫と診断
治療開始
2013年
治療→自家移植→
同種移植→寛解
2014年
寛解維持
2015年12月
再発
2016年1月
治療再開

介護福祉士
娘二人の母親してます。

普通の日記4

ご無沙汰しておりました!!



前回記事を書いてから二カ月半も経ってました(;一_一)
バセドウの症状がひどく出て、
まさかの主人と同じ医大へ転院し
買い物一つ一人では行けないほど狭心症の症状が出る始末。
娘が二人とも家事に積極的に取り組んでくれたので
無事短期間で【身体動かしすぎです数値=FT3が9→3】へ減少。
甲状腺刺激ホルモン(TSH)は相変わらず0.000と低下していますが、
異常な発汗と動悸が減っただけで死にそうに感じる事はなくなりました。


で、不運は重なるもので先日試験会場へ向かう主人を送り届けたあと
次女と買い物へ行く途中(一人での買い物が許可されておらず常に次女が付き添ってくれています)
赤信号を見落としていました!の車にスピードを出したままの状態で追突されあちこち打撲。
私側は完全に青信号になり、周囲の確認をしてから走り出していて。
過失はゼロでした。
一か月が経とうとしている今、神経の痛みどめの注射をしてもらい
日常生活での動きもヒョコヒョコ動きが減ってきた感じです。
次女もカラーを巻き、高校生活最後の体育大会に出られず
かわいそうなことをしました。



普段から安全運転に努めていたので、
こうしてても事故は起きるという話を警察の方としました。
また、次女にも私の症状を伝えてあったり、同乗している時に事故が起きたら・・と話をしていたので
事故当時、冷静に私への声かけをしてくれたり連絡をしていました。
『ママ!ゆっくり呼吸して!深呼吸だよ!』『苦しいところない?』
加害者へ『母は心臓が悪いんです!早く救急車を』
と、次から次へとテキパキ動ける娘、かっこよかった。


救急車で病院に運ばれストレッチャーに乗った私は、
救急センター内にいたのですが
軽傷だったので病院の廊下で待機していました。
その時初めて涙がこぼれてきたと後になって話していました。
次女はキリっと私を案じてくれていたのですが、
やはり内心は凄くこわかったと思います。


次女のおかげで、私は酷い状態になることもなく、
歩いて救急搬送先から帰る事が出来ました。
本当に頼りになります。
車も廃車になりましたが同等の車を補償してもらえました。


思い入れには金額がつかないと保険屋さんが仰ってましたが、
そこまで求めたところでどうにもなりません。
それよりも
次女の学校や高校生活最後のイベントへの悲しみのほうが私にとっては大きいです。
私の体調さえよかったら・・と何度も考えましたが、
次女は、そんなふうには絶対考えないで?ママを守れたならそれでいい、と。
んー、本当に良い娘に成長してくれました。




とまぁ、今年はいろい災難がかさなりましたが
これも辛抱の時期と踏ん張ります。


病気関連の記事を少しずつすすめていきます。
今後ともこちらでお世話になりますm(__)m