多発性骨髄腫と家族

多発性骨髄腫の治療記録。 最近、治療の当本人である主人もブログを始めました。 こちら➡︎ https://ken-ken-ken.muragon.com

多発性骨髄腫について
治療、症状、患者家族として
残せるものを置いていきます。


2012年8月=主人37歳
多発性骨髄腫と診断
治療開始
2013年
治療→自家移植→
同種移植→寛解
2014年
寛解維持
2015年12月
再発
2016年1月
治療再開
2019年9月
永眠しました

介護福祉士
娘二人の母親してます。

タイトル思いつかず。


病気に関係ない記事を他で書く予定でいる、といった旨の記事を書いたのですが
主人曰く“遅筆”な私がいくつものブログを作ったところで管理していけるのか
不安しかない…  ということで


暫くはここでぼそりとお邪魔します。


病気関連記事に関してはタイトルかタグでわかるようになっているので
そちらを参考にしてください。







主人を見送ってから二か月。


『月日が経つのは早い』と、周囲へ話しますが、
正直あまりよくわからない。


以前の記事にも書いていたと思いますが、
もう二か月とも思うし、まだこれしか経ってないんだと思うこともあって。



私個人の日常生活は主人を見送った瞬間からガラリと変わったけれど、
世の中は何も変わっていなくて。
それも当然で…


通夜や葬式に追われて一息ついて一週間
あちこち手続きや連絡に回って気づいたら二週間


この頃になって、まともに食事を食べていないことを子供が心配して
世話を焼かれることが増えていった。


今後の生活や主人の実家とのやりとり、金銭的な面をごっそり整理したのが三週間目
口を開けば主人の話ばかりをしては一人泣きする私を案じた娘のところへ暫く滞在四週間目



子供たちは私が主人の話ばかりすることを一度も咎めることもなかったし、
いつもそこから話を広げては『お父さんってこうだったよね』と一緒に過ごしてくれて。



そんな穏やかな時間とは別のところでも脳は動いていることを思い知らされる…



頭のどこか隅のほうで目が覚めてから寝付くまで、
ずーっとずっと主人を看取ったその瞬間が住み着いていて。



ほんとふとした瞬間、
気が緩むと主人を見送ったあの日が再生される。
病院へ到着する二つ前の信号、既読にならないラインを何度も確認している自分と、
早く信号変わってよーと声に出して言う自分。


虫の知らせとかそんなもの全くなかったし、
何も…予感めいたものあったかなって思い返しても、本当に何もなくて。
何かがあっても止められるものではなかったし、
何をどうできることもなかったのだけれど、


あと一時間早く病院に着いてたら会話できたんだなぁと思ったら深く後悔。



先生も私が病室に着くまではなんとか・・・と、心肺蘇生しながらずっと声掛けしてくださっていて。
看護師さん達も涙を浮かべながら背中をぽんぽんとさすってくれたりして、、


忘れたくない。でも、今はまだ思い出すのが苦しくて。
いつになったら大丈夫になるかなんてわかんないけど、   今は無理。




想う気持ちが“魂となった主人”へ届くのだと和尚様から聴き、
これでいいんだ、間違ってないんだと言い聞かせては
泣いて笑って泣いて泣いての繰り返し。




どこにも答えや正解なんて存在しないし、
終わりなんてどこにもない。



主人への愛はずっとずっとなくなることなくていいんだから
いいんだよねって、そう、思う。



生活も仕事もあって、引っ越しも決めて手続きを済ませた今日。
感情は取り残された感じのまま、それでも一日が終わる度に何かは前進している。



今は、そんな感じ。