多発性骨髄腫と家族

多発性骨髄の治療記録です。

多発性骨髄腫について
治療、症状、患者家族として
残せるものを置いていきます。


2012年8月=主人37歳
多発性骨髄腫と診断
治療開始
2013年
治療→自家移植→
同種移植→寛解
2014年
寛解維持
2015年12月
再発
2016年1月
治療再開

介護福祉士
娘二人の母親してます。

初期:通院での2コース目と大暴れ2

雨が酷いと言っていた先日のブログから数日
ここ数日は少しずつ雨が降る時間も減り、
暑さ厳しくなってきました。


やっぱり夏は苦手です。
夏生れは暑さに強いと誰かに言われたことがあります。
そう。ほんのう数年前までは夏バテ知らずで、
結構活発に行動出来ていたのですが、
異様なまでの身体のほてり=若年性更年期障害が出始めてから
もうぐったりげんなり、毎日何度暑いと言ってしまってるか。


そんな自分がイヤで、
主人に『暑いって言ったら10円貯金しよう』と言うと
「破産するからやめて」と言われました(笑)



早く漢方薬が効いてくれるといいなぁ。



さてと、本題です。



2コース目を退院し、通院にて治療が出来るようになりました。
副作用も一般的にイメージされる
嘔吐や食欲不振といったものはなく、
しゃっくりと倦怠感、手先の感覚低下=末梢神経障害
こんなところでしょうか。


薬の副作用で食欲が出るのと、顔やお腹がパンパンに膨らんでいました。
一番大変だったのが精神的な不穏です。
これがきつかった。今回の再発治療でもここだけが懸念した部分です。


治療に加えて、結婚したばかりの主人は
長い一人暮らしから一気に四人での生活になったのも
この不穏を倍増させたのかもしれません。


子供たちの理解と我慢があって
乗り越えられたのだと思います。
本当によく我慢してくれました。
私を支えてくれました。


いろんな事を受け入れられる気持ちがあって
本当によかった。


新婚生活に淡いものを期待していた私が間違っていたのだと、
何度も言い聞かせて主人に向かっていく。
それが当たり前に脳へ刻まれるまでにどれだけの時間を要したか。
私の単細胞な脳は理解に苦しんでいました。


そこを乗り切る事が出来たのは姑の寛大な気持ちと、
子供たちのおかげです。
姑がいろんなことを理解してくれ、
毎週治療経過を電話すると励ましてくれました。
主人がどうにも手に負えなくなったら実家に帰らせてくれていいと言ってくれました。
常に私のことを理解してくれた姑の力は偉大でした。




治療検査結果




数値でみるとじわじわ悪いものがたたかれて、
主人の中にいる悪者は減っていきました。


食べ物についての制限はなかったのですが、
体重の増え方が心配だったのと、
最初の治療で脂肪肝について話しがあった為、
食事には気をつけて過ごしていました。



ただ、手が折れたままだったので、
三角巾をしていたように思います。


入浴時は一緒にはいり、
主人の洗えないところを洗ったり。
重いものは持てないので、
荷物は私が持つ役目。


凄いことなんて出来ないんですねよ。
なんて無力なんだ、、、と落ち込む日も多くありました。


大きな問題もなく、
この2コース目は終わります。



次回は3コース目とカンファレンス