多発性骨髄腫と家族

多発性骨髄腫の治療記録。 最近、治療の当本人である主人もブログを始めました。 こちら➡︎ https://ken-ken-ken.muragon.com

多発性骨髄腫について
治療、症状、患者家族として
残せるものを置いていきます。


2012年8月=主人37歳
多発性骨髄腫と診断
治療開始
2013年
治療→自家移植→
同種移植→寛解
2014年
寛解維持
2015年12月
再発
2016年1月
治療再開
2019年9月
永眠しました

介護福祉士
娘二人の母親してます。

切ない。そして、感謝。

今日は、病気の記事から少し離れて、

人と人との関わりについて。




顔も見えない、どんな人かもわからない。

ネット上でのやり取り。


それでも、文脈や言葉の羅列の中に

その人の人生や人間性を垣間見る事は出来る。


モラルの無い人や相手を思いやる心に欠けた人、

人を非難したり理解できない事を責め立てることで何が得られるのでしょう。


人と人が共存して生きていくのは決して容易なことではありません。

自分の事しか考えず生きていく事で幸せになんてなれない。

幸せは自身以外の誰かによって作り出されるものであって、自分では誰かを幸せにする為に様々な心を得ていくのだと、周囲の者が幸せを感じられて初めて自分自身も幸せを感じられるのだと思います。


私はweb上でブログを書いたり、ボランティア活動を始めてから

二十年近くなります。これまでの人生半分です。



ネットを通じて、いろんな人に出会いました。

私の人生を大きく変えてくれた人、逆に救う事が出来た人、

実際会う事が厳しいくらい遠方の人、余命数カ月で懸命に生きていた人、

出逢いがあれば必ず別れも同時にカウントを始める。

実際会いに行くのはボランティアで活動していた、相談者がほとんどでしたが、

メールや電話で密なお付き合いが出来たお友達もいます。


私は出会いに恵まれているのかもしれません。


友達は自分で選べますが、

友達以前の【ネットを通じて自分の領域に来る人】は

選べません。

不特定多数の人が行き交う事が許されているこの状況は、

自分が求めないような人でも次から次へと自分の領域に侵入してきます。

そこで出来たのがブロック機能やアクセス拒否機能なんだと思います。



ちょっと考えると・・・

制御しなければ安泰な場を保てない事が悲しいわけです。


人が人を悲しませる、傷つける、嫌な想いをさせる、

また、

人が人を笑顔にする、勇気を与える、元気を与える、

どれも人同士が行うことです。

悲しい現実ですが、前者は努力せずとも行う事が出来ます。

ですが、大切なのは後者で居られる事です。

嫌な想いをさせられたからといって、同じ事をしてしまったら

負の連鎖は止まりません。

腑に落ちなくても、悔しくても、悲しくても、

『切ないことだな』と自分で止められる力が必要なのだと思います。


良い感情を起こす行動は、小さな努力でも何かしらの光を生み出します。



来るもの拒まず、がムリな場でどう切り替えていくか。

ネットでこのような場を使用する場合、

素直な気持ちで利用している人が悲しい想いややるせない感情に陥ることが多いのが現状です。



どうか、

悲しい感情をもった人、人を想いやる気持ちにかけてる人、

痛みを知らない人達の言葉で冷静さを失わないでほしいと

切に願っています。



少し話はそれますが、

私も以前ブログ、HP、オンラインゲーム(FF11)をしていたことがあります。

当時はに2割くらいの方が『イイ感情』を持ってない事に悩みました。

ブログはコメント機能を切る事で立て直す事が出来ました。

HPは私にはコメントを送れるけれど、大勢の場で目に触れられない対処ができました。

オンラインゲームでは少しの期間ですが某匿名巨大掲示板に【スレッド】というものが出来て、

ゲーム内でのキャラや周囲のフレンドへの暴言が飛び交いました(笑)

その時はフレンドさんの理解と支えがあり何事もなく楽しい時間を過すことが出来ました。


どれも自分で足を踏み入れる場ではあります、ただ、

誰でも入ってこられる場であることも大事なことです。


ネット上で純粋にその場を利用している人が、

悲しい想いをしたり傷ついていく、言われもない事でイヤな想いをするのは

本当に切ないです。



自分自身の行いを省みる事が出来ないような人に惑わされないでください。



真っ直ぐ純粋な気持ちをもって過している人が

悲しむ必要はありません。

嫌な想いをして過す必要はありません。



私は一度ブログを削除していますが、

これは主人との喧嘩?やり取りの中で強行したことでした(;一_一)

お恥ずかしい限りです。


ちょっとした縁があって、この部屋に遊びにきてくださったり

お邪魔させて頂いてる今を大切にしたいと思っています。




悶々と考える事があっての数日でした。

言いたい放題で書いてる記事ですが、

読んで不快になられる方がいらっしゃいましたら

そっとお帰りくださいm(__)m



次回は病気の記事に戻ります。

初期:治療開始と家族

ただいま、再発の治療中です。

ブログ上部にぽつぽつ現状も織り交ぜて

多発性骨髄腫について残していきます。


ブログの記事は出来るだけ治療順に沿って

書いていこうと思っています。


とは言え、初期治療が四年も前の事なので

当時の検査結果や手帳に書いていた日記を参考に

コツコツ、コツコツ、ですm(__)m




医大で【多発性骨髄腫】と診断されてから

約半月後には治療が始まりました。


入院をしての抗がん剤治療。

一回目の治療で様子を見て、安定してお薬が使えたら

そのまま何コースかした後に

次の治療に入るという説明でした。


まず初めに行われたのは、

カンファレンスです。


・多発性骨髄腫:ベンスジョーンズ型

・マルク(骨髄穿刺)が出来ない状態

 悪い細胞が多量生産されている

・化学療法を何コースかした後、

 自家移植・同種移植を用いた治療を行う

・治療にはステロイドが欠かせない、

 様々な副作用の説明

・抗がん剤を多量に使用する為、妊娠を希望する際は

 精子の冷凍保存を行う

・予後については五年生存率について説明あり

・県内での30代発症が医大の知るところ初めてなので、

 治療成果や予後等の明細は不明

・寛解(病気の製造場所が深い眠りに入る事)はあるが、

 現段階での完治はない

 多発性骨髄腫に完治はない

・病気の発症原因は未だ解明されていないが、

 遺伝が原因ではない

・骨病変が多く見られているので、整形外科とも同時に

 治療をすすめていく。


カンファレンス参加

医師四名、看護師二名、

私たち夫婦、主人の両親二名


以上、第一回目のカンファレンス


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以下、多発性骨髄腫メモ


日本では
IgG 型が59.1%、
IgA型が 21.8%、
IgM型が 0.2%、
IgD型は3.5%、
ベンスジョーンズ(BJP)型は13.1 %

骨髄腫ではこのうち単一の免疫グロブリン(M蛋白)のみが異常に増加し、他のクラスの免疫グロブリンは減少しています。たとえば、最も多いタイプのIgG型骨髄腫では、血液中のIgGが著明に増加し、他のIgA、IgMなどは減少しています。免疫グロブリンの軽鎖のみを産生するベンスジョーンズ(BJP)型では血液中の全ての免疫グロブリンが減少していることが多く、免疫能も低下しています


症状としてみられるもの
□骨痛
□高カルシウム血症
□貧血
・易感染症=
 骨髄腫では異常な免疫グロブリンが増えても、感染を予防する機能はなく、正常な抗体蛋白が減る ことから、感染に対する防御能が低下し、感染症にかかりやすくなります。
・腎障害
□神経症状


多発性骨髄腫の診断基準(SWOG, 1980)

大基準
Ⅰ 組織生検にて形質細胞腫を認める 
Ⅱ 骨髄中形質細胞の割合が>30%である
Ⅲ 血清の電気泳動で単クローン性のグロブリン・スパイクが
 IgGでは>3.5g/dl、IgAでは>2.0g/dlのピークを示すか、
 24時間尿に排泄されるL鎖(κまたはλ)が
 電気泳動で≧1.0g認められる(アミロイドーシスを合併しない場合)

小基準 a 骨髄中の形質細胞が10~30%
b 単クローン性のグロブリン・スパイクを認めるが、上記Ⅲ以下
c 骨融解像が認められる(2個以上)
d 正常免疫グロブリンが、
 IgGでは<600mg/dl、IgAでは<100mg/dl、IgMでは<50mg/dl
 
明らかな進行性の病変とともに臨床症状を有する患者において、
 下記のa)~d)のいずれかに該当する場合に多発性骨髄腫と診断する。


a) I+b、I+c、I+d
b) II+b、II+c、II+d
c) III+a、III+c、III+d
d) a+b+c、a+b+d


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この時点では、新しい家族の始まりと

主人との夫婦生活の始まり、

そして病気との闘いも始まりました。


右も左もわからない土地で、

自宅から病院へ行く道を数日間かけて覚える始末。

買い物をする場所も初めて入る所ばかり。


生活するだけでも不安な中での闘病生活。

私も主人も子供たちもみんな不安。不安。不安。



薬を入れるにつれ精神崩壊していく主人、

泣きながら帰る日々。

看護師さんや担当医のみなさんに励まされ、話を聞いてもらい、

本当に二人三脚で治療をすすめました。


主人の両親からも、新婚生活もなく荒れ狂う息子の面倒見させてしまって

本当に申し訳ない。

結婚式も新婚旅行もなく、主人を見守る生活が始まったこの頃、

私は幸いにも主人の両親とぐんぐん仲を詰める事が出来、今に至ります。


家族、親族、本当に総出で主人を支えていられた。

誰ひとりとして主人を粗末に扱うことなく

温かく見守ってくださった事に心から感謝している。



子供たちも意味不明な主人のいらだちに

初めはうまくスルー出来ずにいたけれど、

次第に『この人はこういう性格なんだ、薬で更にこうなってるんだ』

と捉えるようになり

時間をかけて徐々に家族となっていった。



病気と共に生活するという事容易なことではありません。

でも、誰も悪くない。病気になった事は自らが招いた事ではない。

その部分に対しての理解は必要です。


患者家族が看病をしているうちに、

心も身体もボロボロになる、ということがよくあるのだと

医師も看護師も話してくれました。


確かにそう。

私は四年半が経った今、まさか自分が!?と思う

鬱になっています。

子供たちも一時期重い精神状態になり、苦労させてしまいました。



全ては今となって穏やかに振り返れる事。

当時にそんな余裕も思考も持ち合わせる事はなかった。

できませんでした。



一番苦しんでいるのは患者である当人だということ。

痛みも不安も苦しみも悲しみも次から次へと襲ってきます。

不可解な事が立て続けに起こり冷静さも【当たり前】もなくなります。



それでも、どんな罵倒を受けても、

支えていかなければいけないんです「。


子育てに似ているような気がします。

そう思えたら少しだけ、

『しょうがないなぁ。。』という

赦せる、受け入れられる感情が心に隙間を作ってくれます。



時間はかかってもいい。

想いやる相手が目の間にいるのなら。


いつもコメント下さる大好きな大切なブロガー様の言葉。

『怒る事もイライラする事も、喧嘩も全部相手が生きてるから出来る事』

本当にそう。

もし、もし主人が・・と考えたら・・・

想像はつかないです。


でも、今だから出来ることは明確です。

生きているうちに有意義な時間を過す大切さ。

イライラしている主人と喧嘩しても言い合いしてもいい。

でも明日は一緒に迎えよう。明日は笑顔を向けてみよう。

主人と私には“明日がある”のだから・・・と。



再発治療を始めてからというもの、

現在進行形でまた悶々として日々が多くありますが、

頑張って生きてくれている主人が居るのだから

私が可能な限り受け止めよう、そう信念をもって過しています。




次回は、初期治療1コース目

初期:初回治療とモヤモヤ

ちょっと間が空きました(;一_一)


なんかこう、余裕がないですね。

主人の体調はあまりよくないし、イライラしてるし

うまくスルー出来ればいいのに

つい真正面から感情的になって向き合ってしまう。


大人になれないな・・・ほんと・・・。


次女が何より主人が大事な存在になっていて、

唯一自分の父親だと思っているので

主人が心配でならない。

多感な18歳がお父さんを大切にしてあげて、と涙を流す。


私は、今一度、自分を見つめ直さないといけない。



私に夫であるように、子供には父親であること。



大事にしていかないといけない。





何度こうして反省したかって話(苦笑)




初期入院で大変だったのは、

治療も入院も初めての主人は

次々来る看護師や医師とのやり取りが

執拗にあることから始まり

周囲の入院患者の音や声にも不穏になっていった。


そもそも、この頃の荒れていた時期の記憶は

主人本人は乏しいものであり

家族や近親者のみしかわからない。



とにかく耳に入る他人の

音、声、これらが主人を黒い空気で包み込んでいった。


足音、話し声、笑い声、扉の開閉、看護師の出す音、コップを置く音


とにかく音が主人を壊していく。



本人は覚えてないんだ・・

本当にわからないらしい。


片道40分車を走らせて、毎日医大に通う。

行くと昨夜から今までの不穏要因を、

ポツポツ話す。


耐えられない、誰もわかってない、と。


そこで、一日7500円の室料がかかる

個室に移動希望を出し【音】を減らした。


金銭面での援助は主人の実家、

保険で賄った。

生命保険、特に入院保障は凄く大事。


これがなかったら、主人の治療も満足にできなかったかもしれない。



1度目の入院は、初回抗ガン剤1コース。

食事制限もなく副作用もひどくでず、

順調に治療は始まった。




長く苦しい治療の始まり。

そして、新たに出てきた【人の音】による

モヤモヤの始まり、発覚。



私は新地大分で、主人との生活を始めるべく

住み慣れた地を離れてきた。

そして突然始まった夫の闘病生活。

文字やマスメディア、本で見たことのある

【骨髄移植】がまさか自分の家庭に起こるなんて・・・。



戸惑い、不安、プレッシャー、

そして決してなくなる事のなかった

主人への愛情。


これらによって、

私は数年をかけスッカリ鬱になってしまっていた。


主人を嫌いになれたのなら、

苦しむことはなかったのだろうと

いまは思えるけど、


当時は本当に苦しかった。


言うこと、やる事、全てのつじつまが合わず

まるで赤子のような宇宙人のような荒れた主人を支える私は未熟だった。



次回は、治療開始と家族。



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現在、同種移植後の

(ドナー様より骨髄を頂く移植)

再発による治療が始まっています。


寛解(病気の元が深い眠りについてる状態)

を維持していたのは、2年半。

また後の方で書くことになりますが、

同種移植をして2年半での再発は、

移植失敗との判断だそうです。


主人は再発と右往左往イライラモヤモヤしながら、頑張って向き合っています。



冒頭にも、書きましたがステロイドの副作用による不穏状態を上手に包み込んであげられず、

正面からぶつかる日々。



なんとか私自身スキルアップしていかないと

(ーー;)