多発性骨髄腫と家族

多発性骨髄腫の治療記録。 最近、治療の当本人である主人もブログを始めました。 こちら➡︎ https://ken-ken-ken.muragon.com

多発性骨髄腫について
治療、症状、患者家族として
残せるものを置いていきます。


2012年8月=主人37歳
多発性骨髄腫と診断
治療開始
2013年
治療→自家移植→
同種移植→寛解
2014年
寛解維持
2015年12月
再発
2016年1月
治療再開
2019年9月
永眠しました

介護福祉士
娘二人の母親してます。

普通の日記3

暫くブログに立ち寄る事も出来ずm(__)m



ちょこちょこ【記事を書く】を押しては
途中で携帯閉じてしまう数日間でした。


梅雨が明け、夏本番という暑さになって
更年期障害が大暴走。
私の人生かつてない量の汗でフラフラしています(苦笑)


なんだこれ・・・・
って量の汗が後頭部から背中にかけて
流れ落ちていきます。


と、思っていたら
まさかのバセドウ病との診断でした。
主人と娘たちに、婦人科を変えた方がいいのでは?
と言われ、市内の婦人科を検索。
そのまま予約して次の日受診。


自宅から徒歩二分程にある婦人科で
更年期障害と言われた事、漢方薬を処方されて飲んでいるが
全く改善されていないことを伝える。
一年前に大きな甲状腺科の病院で橋本病と診断された事も伝える。


おじいちゃん先生は血液検査をしましょうと言い、
ついでにホルモンの数値も見ておこうかと。
今まで飲んでいたのとは全く違う漢方薬を処方。


二週間後に来てください、との事で今日受診。


薬があまり効いていないような気がすると、
受付にいた看護師さんに伝える。
ここの看護師さんは、みなさん良くみても60代の方ばかり。
凄く物腰柔らかくて言葉も温かい人ばかり。


すぐに名前を呼ばれ、
診察室に入るとおじいちゃん先生、
『なんだこの数値、橋本病なんかじゃないぞ!バセドウじゃないか』
と、目をまんまるにして言った。
強い口調だったので、正直一瞬引いた。


すると、前回伝えた症状を一から読み上げる。
『多量の汗に息切れ、めまい、手の震え、熱感だな・・・
 よし、ちょっと首を触ってみような』
ゴソゴソ・・・首周辺の太さを確認する先生。
『これはキツかったな・・・しんどかったろう』
その言葉にボトボト涙が溢れてどうにも言えない気持ちになった。
最近動悸もきつくて、先日調理してる最中に台所に寝転んだと伝えると
聴診器を取り出して胸の音を聴いた先生は
『これだけ脈が速いと苦しいなあ・・』と一言。


本当に苦しかったんだ。。。。
意味のわからない多量の汗に、ドクドク動く心臓。
筋肉が落ちているのかとものすごく不安になるほど階段をのぼるのがキツクて、息切れがして。
過去にかかなかった分の汗を今かいてるんだろうと言われたら、
ああぁそういうことなのかなぁ、と思い、
階段がきついのも体力落ちてるんだなぁと思い、


 なんかしんどかったんだ、ほんと。


主人も子供も私がキツイのを本当に心配してくれて、
声もかけてくれるし、ムリしなくていいんだよって言ってくれるし
本当に家族に救われた。


今後は服薬をして、改善するのを待ちます。
最初は少ない服薬量で様子見、効果が薄い場合は量を増やしながら
経過観察をするそうです。


今の症状が軽減されるなら、改善する日を目指して
コツコツがんばります。


幸い家族の理解があり、無理をしないでいいよと言ってくれるので
焦らずうまく付き合っていければと思います。



少しずつブログも書いていけるようになれたら
いいなぁ。。。。。。



(*^^)v

初期:通院での2コース目と大暴れ2

雨が酷いと言っていた先日のブログから数日
ここ数日は少しずつ雨が降る時間も減り、
暑さ厳しくなってきました。


やっぱり夏は苦手です。
夏生れは暑さに強いと誰かに言われたことがあります。
そう。ほんのう数年前までは夏バテ知らずで、
結構活発に行動出来ていたのですが、
異様なまでの身体のほてり=若年性更年期障害が出始めてから
もうぐったりげんなり、毎日何度暑いと言ってしまってるか。


そんな自分がイヤで、
主人に『暑いって言ったら10円貯金しよう』と言うと
「破産するからやめて」と言われました(笑)



早く漢方薬が効いてくれるといいなぁ。



さてと、本題です。



2コース目を退院し、通院にて治療が出来るようになりました。
副作用も一般的にイメージされる
嘔吐や食欲不振といったものはなく、
しゃっくりと倦怠感、手先の感覚低下=末梢神経障害
こんなところでしょうか。


薬の副作用で食欲が出るのと、顔やお腹がパンパンに膨らんでいました。
一番大変だったのが精神的な不穏です。
これがきつかった。今回の再発治療でもここだけが懸念した部分です。


治療に加えて、結婚したばかりの主人は
長い一人暮らしから一気に四人での生活になったのも
この不穏を倍増させたのかもしれません。


子供たちの理解と我慢があって
乗り越えられたのだと思います。
本当によく我慢してくれました。
私を支えてくれました。


いろんな事を受け入れられる気持ちがあって
本当によかった。


新婚生活に淡いものを期待していた私が間違っていたのだと、
何度も言い聞かせて主人に向かっていく。
それが当たり前に脳へ刻まれるまでにどれだけの時間を要したか。
私の単細胞な脳は理解に苦しんでいました。


そこを乗り切る事が出来たのは姑の寛大な気持ちと、
子供たちのおかげです。
姑がいろんなことを理解してくれ、
毎週治療経過を電話すると励ましてくれました。
主人がどうにも手に負えなくなったら実家に帰らせてくれていいと言ってくれました。
常に私のことを理解してくれた姑の力は偉大でした。




治療検査結果




数値でみるとじわじわ悪いものがたたかれて、
主人の中にいる悪者は減っていきました。


食べ物についての制限はなかったのですが、
体重の増え方が心配だったのと、
最初の治療で脂肪肝について話しがあった為、
食事には気をつけて過ごしていました。



ただ、手が折れたままだったので、
三角巾をしていたように思います。


入浴時は一緒にはいり、
主人の洗えないところを洗ったり。
重いものは持てないので、
荷物は私が持つ役目。


凄いことなんて出来ないんですねよ。
なんて無力なんだ、、、と落ち込む日も多くありました。


大きな問題もなく、
この2コース目は終わります。



次回は3コース目とカンファレンス

初期:通院での2コース目と大暴れ1

2コース目に入る前に、

前回の初回入院時、退院前カンファレンス詳細を。


また長くなるようなら、二節に分けて書きます(;一_一)



【退院前カンファレンス】


*病名:多発性骨髄腫

(形質細胞=免疫を司る細胞=の癌化)

・初期症状

 骨折、痛み 貧血 高カルシウム血症


・入院・治療後の状態

 痛みは改善 貧血も改善 

カルシウム値も下がった


入院当初は尿検査の数値にタンパクがでていたが、

治療後はほとんど消えた


・退院後も入院時と同じ治療をしていく

・内服薬

 免疫を補う予防内服

 ステロイド使用中の高血糖を下げる内服

 必要に応じて痛み止め


・日常生活

 適度な運動(筋力保持の為)

 埃が舞うような場所、人混みではマスク着用

 工事現場や、道路整備等に近付かない

 手洗い、うがい

 転倒に一番気をつける

 インフルエンザの予防接種

(家族や周囲の人も)


・仕事について

 重労働は困難

 事務作業はしてよい

 仕事場の環境をきれいに保つ

 本人はほこりの舞うような掃除は禁止


・今後のスケジュール

 2コース目外来で

 3コース目をするかどうかは検討

 2or3コース目後に自家末梢血管細胞移植

 ☆2コース目をする場合 移植入院一か月後

 ☆3コース目をする場合 移植入院二か月後


・自家末梢血管細胞採取

 大量の抗がん剤治療 → 

悪い細胞をたたく=良い細胞も減る

 ---------

    ↓  ↓

 自家の幹細胞を移植

  

 大量の抗がん剤投与によって、

白血球がほぼゼロになるので

 白血球を増やすために自分の細胞を移植し、

 白血球の復活を早める


・この時点での治療効果

 1.SCR(一番良い)

 2.CR

 3.VGPR=今の状態

 4.PR(一部効果あり)

 5.PD

 6.SD

 病気の進行を抑えているのと同時に、

改善の効果あり


・同種移植=他人の細胞を移植すること

 自分の細胞を移植するのとは大きく違う

 成績はとても良いわけではない

 しかし根治に繋がる治療ではある→

  →しかし合併症も多い

移植関連死も多々みられる

治療後に再発の可能性もある

 

 ・自家移植後に化学療法だけで

病気を悪化させないよう

  様子を見る方法もあるが

年齢が若いので自家移植後に

再発すること考えて治療を行う

   一つの選択肢として


 実際に同種移植(骨髄移植)を

 するかどうかは、本人家族と相談して決める


 骨髄バンクに登録して、

実際に移植まで早くて三カ月 

 平均は半年ほど。

 骨髄移植をすると、 二カ月は

無菌室(クリーンルーム)にて入院治療


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以上がカンファレンスの内容です。



この病院では、同種移植の成功例は3件。

失敗は何件もあるとの説明でした。

移植から移植後一年以内に関連死で亡くなる確率も低いわけではない、と話していました。


主人は

「結局アレですよね?移植しないと長生きできんってことですよね?それじゃ、やるしかないじゃないですか」と話していました。



そして、待ちに待った退院。

楽しいふわふわな新婚生活が始まると思いきや

現実は厳しいものでした。




次回は

通院での2コース目と大暴れ2