多発性骨髄腫と家族

多発性骨髄腫の治療記録。 最近、治療の当本人である主人もブログを始めました。 こちら➡︎ https://ken-ken-ken.muragon.com

多発性骨髄腫について
治療、症状、患者家族として
残せるものを置いていきます。


2012年8月=主人37歳
多発性骨髄腫と診断
治療開始
2013年
治療→自家移植→
同種移植→寛解
2014年
寛解維持
2015年12月
再発
2016年1月
治療再開
2019年9月
永眠しました

介護福祉士
娘二人の母親してます。

現在:3コース目を終えて

桜の開花宣言から満開、気づけばあっという間に葉桜。

今週末には真夏日か!?と天気予報でギラギラした太陽がうつっていました。



月日の流れの速さを感じている今日このごろ。

長女の大学生活も終わり、新社会人として一人暮らしも研修もスタートしています。

次女も社会人2年目に突入し、3つ年上の大卒で後輩にあたる女性の指導?に頭が沸騰しているようです。

それぞれが、それぞれのリズムとタイミングで成長しているんだなぁと感慨深いものがあります。



うん、みんな頑張ってるなぁ。



さて。

主人は新薬【ダラザレックス®︎】による様々な副作用や体調不良、治療延期がありつつも、

第一段階である3コースが終わりました。


1〜3コース治療内容

ダラザレックス®︎

Day1.8.15

ベルケイド

Day1.4.8.12.


4〜8コース治療内容

ダラザレックス®︎

Day1

ベルケイド

Day1.4.8.12


★1コースは三週 21日★



主な副作用

・ダラザレックス、ベルケイド

どちらが原因か明確になっていない《高熱》

ハッキリと断言できないのが正直なところ、と前置きはあるけれどダラザレックスの影響が強いのではとの見解


高熱に関しては熱が出るタイミングに合わせてレナデックス (ステロイド)をDay4.5、Day12.13の朝に一錠(4mg)ずつ内服で調整


この対応をして約一カ月ほどは高熱を抑えられている感じ



・血小板の減少

輸血が必要である数値まで下がったものの、

治療を延期する状況であったことと、病気自体の数値が悪化していなかった為に輸血はせず

自然回復を待つ


血小板の減少が見られた場合は、

ベルケイドの減量をしなければならないとの事で、3割くらい減薬

痺れの訴えも増えてきていたタイミングだったので、少しは緩和される事を期待したい



・不眠、睡眠障害、入眠障害

レナデックス(ステロイド)が入る事により、睡眠障害が起きやすく、以前の治療からも継続して起きている症状

眠りたい、眠らなければ、と思えば思うほど

状況は悪化してしまう事も多く見受けられるこの状態はここ最近の大きな課題

薬をかえてみたり環境をかえてみたり

出来る事からコツコツと、です



・痺れ

ベルケイドによる末梢神経障害は、治療開始時から増減はあるものの継続してあるもの

過去記事にも何度か痺れに関わる医師とのやりとりが出てきます

キーワードとしては

「日常生活に支障があるか」

「ペンや箸が持てるかどうか」

といったところでしょうか

そうは言っても、ずーーっと正座した後の痺れみたいなものが続いてたら嫌気がさします

私なら、そう思っちゃいます

時折手をグッパ、グッパとしたり、足をググイグググと揉んでいる主人を見ると

辛抱強いなぁと感心しますし、尊敬さえします



また今後少しずつ副作用に関しては記事に残していきます。



薬の効果にしろ副作用にしろ、治療の内容から医師とのやり取りなどなど

個人差は大きいです。

このブログに残している事はあくまでも

「こういった経過もありました」

「こんなパターンもありました」

と、見ていただくほかありません。


これは常々書いてきていますが、

現実に起きたことしかブログには残せませんし

「たら」「れば」話しは何の意味も持たないと思うので、実際主人はどうだったのか、その時家族はどうあったのかを

時間に余裕があるときにマイペースで残していきます。




ここのブログはタイトル通り

多発性骨髄腫という若年層にはあまり見られない病気の、その中でも同種移植をした患者家族の治療に関わる記事プラスαです。


ほんの些細な「?」でも、このブログの中で解消されるものがあれば、必要な方が、必要な時に、必要なタイミングで見て頂けたら幸いです。



ココロにゆとりの持てる今日でありますように。